「一番のファッションは裸」by YOKO FUCHIGAMI(ロバート秋山)

あーちん(娘)と街を歩きながら話したこと。

わたしたちの前に、全身ピンク色で、フリルのついたミニスカートに、つばにレースのついたハットをかぶっている人が歩いていた。いわゆるロリータファッション的な装いだったのだけれど、足元だけ素足でつっかけのような汚れたサンダルを履いていた。素足の感じから、あれ、と思ってすれちがうときに見ると、すっぴんのおばあさんだった。あーちんはすこし動揺していた。

いろんなひとがいるねえ、と言って、街を歩いている人たちの服装をしばらくふたりで観察した。

どうしてそれを選んだのかわからない、自分では決して選ばないものを、この人たちはそれぞれお金を出して買って、好んで着ている。あれをまるごと明日自分が着ないといけないと言われたらつらいよね、あの人は服はかわいいけどバッグがなぜそれ、などと好き勝手に感想を言ったりした。


ひとそれぞれ好みがあって、体型、環境、優先順位(動きやすさとかモテるかとか)、経済的理由、憧れ、そういういろいろな要素が合わさって選んだ服を着て歩いている。自分がそれを「よし」としたもの、似合うもの、相応だと思うものを着ている。

服装は目に見えるけど、じつは「考え方」もまったく同じように、ひとそれぞれまったくちがう。それぞれの性格、環境、興味、優先順位などいろいろな要素から、自分がいちばん好きなものや、「よし」とするものを選んでいる。

だから、自分の考えを「正しい」として他人を「まちがっている」と言うのは、「あなたのその服はまちがっている。わたしの着ている服が正しい」と言っているのと同じこと。自分で考えないで誰かの意見だけで判断するのは、雑誌のコーディネートをまるごと買って着ているのと同じこと。

たくさんいる人たちの中で、同じ服を選んだり、その服とてもいいね!と好みや選択が同じ人に会ったときにうれしいのは、考え方が似ている人に会ったときにうれしいのと同じ。値段が高い服をいいものとするか、素材がいいものか、デザインか、特定のブランド名か、友達が作ったものか、その選択は、考えるときになにを優先するか(目的や方法)と同じ。


こどものころに着ている服は、だいたい親の選んだもので、そのなかで好き嫌いはあったとしても、選択の自由はほとんどなかった。大きくなってから世界がひろがって自分の好きな服があると知ること、アルバイトして自分のお金で買った服を着るのがすごくうれしいことも、「服」を「考え方」にそっくりそのまま置き換えられる。あれは、親の「好み」であって「正解」ではなかったんだな。でも親はそれを良しとして、わたしのために与えてくれていたんだなと思う。


そうやって服装に例えていろいろと話をした。

考え方は人それぞれで、わかりあえないことが多いけど、自分は着ない服だとしてもだれかに対して「その服、とても似合ってるね」と言ってあげることができる。自分では黒い服が似合うと思いこんで黒ばかり着ていたけれど、誰かが「赤い服も似合うと思うよ」と言ってくれて、その気になって赤い服を着てみることもある。

人それぞれだけど、だれが褒めてくれたかとか、だれに会うためかとか、どういう自分になりたいかとか、そういうちいさなことで容易にかわることもできる。

人とちがうのはあたりまえだから、「わたしはこれが好きだ」と自信をもっていい。そしていつでも変わってもいい。すきなものを身につけて歩けばいい。責任と自由のもとで。


そう思うと、わたしが自分で考えたことを「こう考えると楽だよ」とか「こういう方向からも考えられるよ」とおせっかいにも世に出して、だれかがちょっとでも楽になったらいいなと思うのは、ファッションでいうところのデザイナーさんなのかもしれない。

ゼロから糸を紡ぐとか、世になかったものを作り出すわけではないけれど、「服」そのものが好きで、シンプルでちょっとしたユーモアや着心地のよさを大事にして、こんなの作ってみたけど、どう?気に入ったら着てみてね。お揃いだね。うれしいね。ということなのかもしれないな。


これからもデザイナーとして、そのシーズンごとに(ただし俺タイミング)、人生がすこしでも快適に気分よく(ときに便利に)なるような考え方を探し続けたい。


以下、YOKO FUCHIGAMI(ロバート秋山)の名言(蛇足だけど、この流れで読むと深く感じる)

「ネックレスには最低3つストーリー(思い入れ)がないとしちゃだめ。渋谷で買った一つの思い入れだけなら、ひきちぎってしまえよ。ストーリー・バックボーンを背負えよ」
「お母さんのおなかの中はブティックだと思わなきゃダメよ。『身体』という最も神秘的なデザインを生み出す母の胎内こそブティックよ」
「ファッションはケンカなのかもしれない。1番オシャレな裸で生まれてきているのに、布を重ねているから、お母さんにケンカ売っているのかもしれない」



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コメント2件

こどもの頃の服は親に与えてもらったものという話が、とても心に響きました。
素敵なノートでした(*´Д`*)
服装で例えると、すごくわかりやすいですね!目からウロコでした。ありがとうございます。
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