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いちょうの記憶(14歳の誕生日に)

すでに出産予定日を3日すぎていたので、外出せずに自宅でひたすら陣痛を待っていた。あんなになにもしないでおなかだけに意識を集中してすごした時間は、後にも先にもない。

午後になって、なんとなくおなかがチクチクと疼く感じがした。しかし、おなかに集中しすぎて想像陣痛かもしれないし、痛みの間隔をはかるほど痛みのはじまりをキャッチできない。気のせいかな?という程度の痛みだった。夕方になって念のため病院に電話をしてみると、予定日をすぎていることだし一度受診にきてくださいと言ってくれたので、徒歩15分のいつもの道をあるいて病院へ向かった。

受診して数値をはかると「陣痛、きてますね」とのことで、そのまま入院することになった。それでもチクチク程度の痛みから進行しないので、当時の夫とのんきにおしゃべりをしてすごした。助産師さんは数値を見にくるたびに「陣痛、進んでますけどねえ」と首を傾げていた。

痛みの間隔もはかれないくらいのチクチクのまま就寝し、うとうとしていた朝方4時すぎごろ、とつぜんおなかの内側から思いきりバーンと蹴られて目が覚めた。それはみごとなキックだった。それを文字通り皮切りに破水し、同時につよい痛みがやってきた。たまごクラブには陣痛は徐々につよくなると書いてあったのに、わたしは彼女のキックによるヨーイドンで一気にはじまった。

それから4時間ほどで出てきた。


分娩室や前室から悲鳴やうめきを聞いていたので覚悟していたけれど、わたしは痛みにつよいのか、よほどアドレナリンがでていたのか、もちろん痛かったのだけれど、痛みを無言で耐えるスタイルだったのと、分娩室で助産師さんに「あと何回くらい(息んだら出るか)ですか?」などと普通の口調で話していたので、当時の夫は「思ってたのとちがう」と言っていた。

ともあれ彼女はこの世に出てきた。じぶんでキックして、じぶんでよいしょと出てきた。


赤ちゃんがおなかの中にいた間、別の人格がじぶんの中にいることの不思議と奇妙さに、そんなにおもしろいことがおこっていることの実感が湧かなかった。けれど、出産が未知すぎてこわかったので、おなかの中でうごいている(起きている)ひとに「いそいで出てこなくても、時がきたら楽に出てこられるみたいですよ。どうやらくるりと回りながら出てくるといいみたいですよ。くるりと。協力しあいましょうね。たのみますよ。」と話しかけ、毎晩打ち合わせをしていた。出てきた赤ちゃんの顔を見たときは、「このひとか」と思った。



退院して徒歩15分の道をあるいて自宅へ帰るとき、大きな公園の中をとおるその道では、いちょうやもみじがみごとに紅葉していた。赤ちゃんと紅葉という組み合わせはものすごいコントラストで、生命のふしぎと美しさが重なって、なんだか神々しくもあった。その光景を見て「このひとはベビーピンクのふわふわよりも、銀杏や紅葉の渋さが似合うな」と思った。手の中のちいさな乳児の存在から、守るべき弱く儚いものというよりも、これから生きていく意志のつよさを感じた。別人格がでてきたなと実感した瞬間だった。


うまれたとき、彼女のまわりにはわたしと当時の夫、わたしの高校の時のともだちふたりがいた。医療関係者をのぞいて4人。

あれから14年が経ったいま、彼女の周りには何人のひとが関わり、その存在を見守ってくれているのだろうかと想像する。14年で心身ともに成長し、自分の世界とひととの関係をつくってきた彼女を見て、あのとき実感した彼女自身のひとりぶんのひとの力のつよさは、間違いなかったなと思う。

わたしは彼女と親子だという特典で、これまで何度も、彼女の時間にのっかって自分の人生を進めてきたし、30代の1年間を10代の1年間の感覚に負けないよう使おうとしてきた。これからは今まで以上にお互い個人として選択をし、活動していくことになる。そう思うと改めて彼女の周りにいる人たちに心から感謝する。


わたしは、14年でつくってきた彼女の世界をまるごと信じている。そしてとても尊敬している。


「あなたの未来に祝福を。圧倒的な祝福を」(bonobos「あなたは太陽」より)


あーちん、14歳のお誕生日おめでとう。


2016.11.12



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