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vol.1 わたしがnoteを始める理由

人生詰んじゃったのかもしれない 

わたしには夢がある。
ちいさな田舎のまちに「#居場所 」を立ち上げることだ。

わたしが思い描いてる「居場所」には年齢制限がない。
オトナにも、子どもにも開かれている場にしたい。

そして、みんなが「自分を丸ごと好きでいられる場所」にしたい。
気づいたら自分を丸ごと好きになれてるような、そんな人たちが集まる場所がいい。

けれど、なかなか人生というのはうまくいかない。
わたしはむしろ、昨年、人生詰んじゃったのかもしれない。

なんでこうなっちゃったんだろ。
これからどうしたらいいんだろう。

そう思うことくらい、きっと誰でもあるけど。

夢を諦めるときって、世界はどんな風に見えるんだろう…そんなことを何度も考えたりした。


砂がこぼれ落ちるように

半年前、わたしは会社を辞めた。円満退職だ。
理由は一言でいえば、怪我をしたから。

でも、ほかにも数えきれない挫折があった。自分でも自分をコントロールできない訳の分からない感じとか、自分てこんな人間だったっけという絶望感や驚き、とにかく沢山のモヤモヤがあった。

入社して数か月で退職することになったそこは、私の人生では絶対に失敗したくないチャンスの場所だった。昨年転職を考えたタイミングで、たまたま知った出会ったその職場に、わたしは運命さえ感じてた。

怪我をした後も、しばらくは会社の人たちと連絡を取り合っていた。ひょっとすると、会社の人も純粋に、自分がそこにかかわり続けるチャンスを提示してくれていたかもしれない。でもそのチャンスも逃してしまった。抑鬱的になっていた私には、決断が何一つできなかったからだ。

絶対にしたくない場所での失敗は14年ぶり2回目だ。14年前にもひたすらすくい上げようとしてくれた人がいた。その時は頭を下げて根回しをしてくれて、ちゃんと開かれた道を準備してもらった。それなのに意気地のないわたしは、進めなかった。そのことをずっとずっと後悔して生きてきたのに。

そして、「居場所」立ち上げを夢見て歩いてきたこの5年というとんでもなく長い時間は、続きながらも一旦立ち止まらざるを得なくなった。自分の生き方や、価値観や、思い込みを疑う必要が出てきたからだ。でも同時に、誰がなんと言おうと変わらない「自分の軸」とか「自信」みたいなものが足りなかったのかも知れない。


格好悪い自分のままで

けれど、人生というのは何がよくて何が悪いのか、分からない。解釈しようとすること自体、間違ってるのかもしれない。

わたしは、この歳になってようやく、自分をすきになるという意味がわかってきた。
すでに2アウト満塁かもしれない自分だ。それでも人生や自分を愛していい。背伸びをしなくていい。

自分が自分に「いっぱい無理させたのに理想の自分になれなくてごめん」と謝ったら、涙がとめどなく溢れて、止まらなかった。それでも、そう思えたことで、わたしの人生はようやく始まった気がする。

そんな自分に祝杯をあげたい。これははじまりの唄だ。


始まりの唄のイントロ

ちなみに、「これはもはや詰んだかも…」という自分への絶望と、新しい人生の始まりは同時に起こり始めた。始まりの唄は2か月前くらいから小さく始まった気がする。

2か月前、自分の中に、感情だけでできている世界があることを知った。同じ自分のはずなのに、自分の理性とは、言葉が通じない異国のような世界。不思議すぎる出来事だった。

その2日後、自分は感情が沸き起こる瑞々しさを実感し、いつの間にか感情を感じず生きていたことを知った。「嬉しい」は飛び抜けて嬉しいから、じわじわと沸き起こる嬉しいまで一瞬として同じ時はなく、どの感情も胸の奥からやってくるのだと実感する。

それから1か月して、起き抜け一発目に、頭の中でそれは閃いた。

「わたしは、7年前、パワハラをうけていた・・・」

すっかりその記憶を忘れてた
ちょうど2日前に、自分の人生の転機や大きな出来事をたまたま書き出していたから、その見事な記憶の抜けっぷりは見事なものだった。いやましてハッキリと感じられ、にもかかわらず、自分は案外冷静に受け止めた。自分でも拍子抜けするくらいに。

その職場の仕事内容や、当時のタイムスケジュールなど、けっこう細かく覚えていただけに、疑う余地もなかったことが驚きだ。むしろ脳の構造ってすごい、としか言いようがない。

でも記憶を思い出したとき、腑に落ちるものがたくさんあった。
いつからか敏感になってた感覚、焦燥感や恐怖感、そして異国のような感情世界。謎が解けていく感覚に、ホッとしていた。

日が経つにつれ、自分の価値観や生き方の端々に、パワハラから身を守ろうとして身についたものがあるとわかった。
自分が大切にしたい想いは昔と変わらないのに、行動と矛盾する。そのことに気づいたとき、パワハラに人生を奪われた無力感があった。

それから数週間たった、つい数日前、パワハラを受ける以前の自分の感覚(考え方、生き方、振る舞い方など)が、心と頭の中にほんの短時間戻ってきた。つい最近の自分の振る舞いや出来事を「こうすればよかったのに~」と他人事のように思考することはとても楽しく嬉しいかった。「あぁ、自分はこんな人間だった!!」と、旅に出ていた親友に再会したような感動だった。

その翌日も自分の中に蘇る瞬間があって、心がわくわくした。自分が認める自分らしさで生きられるかもしれない。そんな希望が溢れて嬉しかった。

けれど、その感覚は、その後まだ戻ってきていない。私にはやはり過去で、パワハラによって変わってしまった自分を起点に、始めなければならないのだろうか。暗澹たる思いが胸を締め付ける…というのは、こういう感情なのだろうか。(人格が変わるわけじゃないので、乖離性同一障害ではないです。)

怪我をしてからの日々と平成最後の「最初の一歩」

どんな時でも、朝は来て、腹は減る。挫折なんて、どんなにすましていても、生きていれば大なり小なりあるはずだ。

それなのに考えるほどに孤独を感じて、「人生」なんて壮大すぎるテーマとこれまでの人生を振り返えっちゃったりすると、未来への不安が一気に押し寄せてくる。

少なくともこの半年間くらいを振り返るに、そうだった。

動くことだと世の人々は言う。でも動けないから悩んでるし、動けないほどの精神的な痛手であった。
むしろ10年ぶりくらいに社会不安障害の症状が出て、外に出ることすらためらう日があったりする。

ふと、格好つけていた自分を振り返る。格好良く夢を叶えようとしていた自分。色々な病気や怪我や、幼少期の体験があって、でも乗り越えました、そう言って胸を張りたかった自分。

でも、自分が誰より孤独だったし、不安で、年齢だけを重ねてスキルもないことを理解していた。そのことに気づいたのは4月の終わりに近づいた頃。ずっと、気づかないふりをしていたのかもしれない。一方で周りの人たちには筒抜けだったんじゃなかろうか。

少なくとも、この半年間、私が動けなかったのは、自分の生きた年齢と今の現状が「ふつう」に生きてきた人たちのスキルには到底追いつけない、不釣り合いに感じられて、不安でどうしようもなかったからだ。

そして、パワハラを受けた傷や、うまくやれなかった挫折感や、(認知の歪みなのかもしれないが)受け入れられなかったと感じてしまう出来事に、もはやボロボロだったからだ。怪我が治ったからといって、働けるだろうか。たまにトラウマと呼ぶべき身体症状がでる日もある。生きていけるのか、保証なんてどこにもない。

でも、これまでの経験上、『過去の出来事は上書き保存するに限る』、というがわたしの取り扱い説明書だ。どんな傷つきもいやな出来事も、それがいつでもどこでも起こりうる普遍性のあるものではない。むしろ、たまたまそうなってしまっただけ。また踏み出してみれば、その先には違う未来があることを、何度でも心と体と脳に実感させてやるしかない。そのために、実感させてやれる温かな場所や人を、今は探している。そして、どんなに温かな場所だと頭では理解していても、実感するまでは怖い。怖くてもそこに身を置いたり、ダメだったりを繰り返して、その他に私は生きる方法を知らない。

私がやりたかった「居場所」支援を、格好悪い自分のまま、作りたい。強くそう思った。当事者として、「居場所づくり」をはじめよう。

つまりこれは、わたし自身の生き直しの話でもあるし、失敗の話でもあるし、「居場所」づくりの第一歩だ。

「令和」が始まるその前に、♯平成最後の初めの一歩 始めます。

このnoteが、誰かに届きますように。

田舎の町に、引きこもりの人も含めたフリースペース、フリースクール、そして職業訓練施設を作ることを夢見てます。応援していただけたら嬉しいです。