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カラフルペンとガラケー越しに見た世界

この前、変な時間に目が覚めた。そのまま二度寝しそうになって、ふと最近の出来事を俯瞰してみようと思い立った。寝起きなので思いつくまま、ざざっと進める。

付箋に出来事を端的に書き出す。出来事の周りに、その時感じた感情を書き、丸で囲む。そして、その時の感情のイメージで色付けしていく。

時には感情について内省しコメントをつけてみたり、「今ならどうするか?」という視点で振り返ってみる。この内省や深掘りが、思いのほか未来志向になれて面白かった。すっかりはまり込んでしまい、結局ほとんど日付は進まなかった。

とても良かったのは、カラフルペンで自分の感情に色を付ける作業はこんなにも癒されるのだと気づけたこと。すべての感情を愛しく包み込むように、肯定できた感覚。

言葉で言うと同じ「悔しい」でも、「悲しい」に近い「悔しい」と、「怒り」に近い「悔しい」がある。その違いを直感的に感じて、そのイメージで塗っていく。時には2色使いにしてみたりして。

たとえ勘違いや行き違い、あるいは認知の歪みによって感じた感情であったとしても、そのとき自分が抱いた感情を肯定していいんだと実感した。

色々内省したが、一つ分かったことがある。わたしは、笑うことがあまり得意でない。が、特に「心の底から笑おう」と思うと、涙が出そうになる。ちょっと不思議だったが、内省して気づいた。

あたしは、ある日突然、居場所を失った経験が2度ある。大学を中退した時と、8年前のパワハラにより退職したときだ。どちらも、自分にとっては充実した日々を過ごしてきた場所だった。

その時に戻ることはできない。でも、もう一度、自分を大切にしてくれる友達や仲間に囲まれ、充実した日々を送りたい。
頑張って生きていれば報われる日も来ると信じているのだ。

「心の底から笑う」のはその日までおあずけ。降参の笑顔はきっと悲しいから。
今は、「心からの笑顔」でも、少しぎこちなくても、ありのまま受け入れてくれる友達や仲間を探していこう。

***

数年前、大学時代の友人が亡くなった。
とってもいいやつで、私よりも年上だったし大学院の人だったのだが、彼とはため口だったし、ニックネームで呼んでいた。なぜなら彼がそれを求めたからだ。彼は特別扱いされるのを好まなかった。

彼がよく「自分はいないものと思って議論を進めて。僕が発言するとそれが正しいみたいになっちゃうのイヤなんだよね」と言っていたのが懐かしい。
わたしたちのゼミはまだできたばかりで、人数もかなり少なかったから、院生の彼の言動が全体に影響することを嫌ったのだ。

フィールドワークで人間観察をよくしていたせいか、気配をそんなに感じさせずにいるのがうまくて、一見すると年下の男の子が部屋の片隅でこじんまりと座っているようだった。

そのくせ議論好きで、最後の方になると結構言いたいことは言うから面白かった。

わたしは大学2年生の冬ごろから調子がおかしくて、#社会不安障害 と診断された。院生の彼はその分野にとても詳しくて、色々とアドバイスをしてくれた。もともと寂しがり屋だった私は、急に部屋から出られない日々を送ることになって孤独で仕方がなかった。

寂しくて死んでしまいそうになった私は、ここぞとばかりに彼にメールをした。彼は、「返信がないうちに重ねて送信しないほうがいい」とか言いながら、でも「自分を責めないように。返信できないことがほとんどだろうけど、メールは送ってくれていいから」と相手をしてくれた。時にはケンカしたりしながら。

突然の訃報を聞いた時、とにかくお世話になったから、ショックのあまりしばらく立ち上がれなかった。

***

6月のはじめ、十何年ぶりにガラケーの電源が入った。大学時代のガラケーだ。

充電不良だったのだが、珍しい機種だったので、なかなか充電器も手に入らず年月だけ過ぎてしまった。たまたまフリマアプリで見かけて手に入れたというわけだ。

ドキドキしながら電源を入れると、昔懐かしい音と、少し時間がかかって待ち受け画面が出た。丁寧に機種を扱って、メールの受信一覧から院生の彼のメールを読んだ。涙が出た。

相変わらず院生の彼の言葉はガラケーの中でもとても温かかった。ため口のやり取りが、社会人になった今は懐かしい。

恥ずかしながら、内容的に今の自分にも当てはまるようなことが(成長してない)、難しすぎず優しすぎず、ありのままストレートな言葉で綴ってある。お気に入りの紅茶を飲みながら、何度かゆっくりと繰り返し読んだ。

***

それから2日たって、今度は一晩かけて受信してたメールを一通り読んだ。ガラケー越しに見た世界はまぶしかった。自分の中に残っている、当時のうつうつとした暗いイメージが嘘のようだ。

驚いたのは、院生の彼はもちろんだが、学科の友達、サークルの仲間、ゼミの友達、キャンプの先輩、親友の後輩(今は旦那)、そして元カレ、みんなが頻繁に、社会不安障害になって不安定なわたしに向き合ってくれていたことだ。

なんと失敬な・・・そう怒られても仕方がない。自分は、社会不安障害になって以降、孤独な日々の記憶がほとんどだった。
当時は、うつ病も患っていたし、一日中携帯の画面を見ながら過ごすので、待つ時間があまりにも長く感じたのだろう。逆に、メールの受信一覧に連なった名前を見ながら、みんな忙しかっただろうになぁと考える。

#世界はやさしい 。そして、そのやさしさに気づくのが遅すぎたかもしれないけれど、でも今でよかった。

実は最近トラウマの症状がたまに出るせいで、あまり外出できてない。
今も寂しがり屋のわたしは、孤独を感じていた。でも、ガラケー越しに見えた世界はわたしに温かいぬくもりを届けてくれた。

このタイミングで世界のやさしさに気づけたこと、一つの巡り合わせのように感じている。

わたしに、今関わってくれている人たちのぬくもりも、もっと時が経った時には、その価値の大きさに驚くのかもしれない。

そして、振り返るころには、温かな友達や仲間を、そして家族を持っていたい。この、人恋しい気持ちも、きっとそのエネルギーとなる。

田舎の町に、引きこもりの人も含めたフリースペース、フリースクール、そして職業訓練施設を作ることを夢見てます。応援していただけたら嬉しいです。