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タイへの旅 1


[チェンマイから北東部への戦跡巡り]

バンコクにはこれまでにも訪れる機会がありましたが、チェンマイを訪れるのは初めてです。

チェンマイには夫の友人が居て、以前から「ぜひチェンマイに来なさい、連れて行きたいところがあるから」と誘われていたようです。

私は以前、ボランティア団体に所属していた頃、チェンマイで活動する日本人が主宰するNPOバーンロムサイという母子感染のHIVの子どもたちを養育する団体の支援をするご縁があり、その時にチェンマイのことを知る機会がありました。
チェンマイは日本の現役を引退した方々が長期に滞在してゴルフを楽しんだり、食事もとても安くできて暮らし易い場所だという話も伺ったことがあり、どんなところなのか興味を持っていました。

夫がバンコクの友人と会う用もあるということで、チェンマイ、バンコクへの旅行を計画したのでした。

2019年の11月初めの頃、南国でも少し涼しくなった頃です。

台湾からバンコクへ、バンコクから国内線に乗り継いでチェンマイへ飛びました。

チェンマイではバンコクの友人も落ちあって一緒の旅でした。

翌日はチェンマイの友人がレンタカーを手配をしていて、SRV車でミャンマーの国境に近いクンユアム目指して出発です。

朝8時にチェンマイを出発、長い道のりです。
山越えのようなドライブなのでSRV車にしたようです。
運転は元気の良いバンコクの友人(と言っても現役引退組。でも、元軍医のトップの方だけあって鍛えた体です)が依頼されていました。

これから走る道路は、昔、ビルマ(現ミャンマー)とチェンマイ辺りの物流の為の山道を戦時中に日本軍が現地の人たちの労力も得て道路を整備した所とのこと。
山あり谷ありの長い長い道のりを通りながらいろいろ説明もしていただきました。
その中で、友人は「日本とタイとは多くの友情を育んだんです」と何度も話しておられたのが印象的でした。

延々と続く上り下りの道を通りながら、この暑い土地で一体どれほどの苦労だっただろうかと想像するだけで気の遠くなるよう感じでした。

目的地はミャンマーとの国境に近いクンユアムという所でした。

私たちは行く先のことなど詳しいことは分からないままでしたが(夫は日本兵が過ごした地域であることだけは聞いていたようですが、実は辛い状況を見るのにあまり気乗りはしなくてこれまでずっと実現させていなかったのです。)


日本の兵隊さんたちが作った道路を是非見て欲しいとのことで、長い道のりをわざわざ選んで通って行ったのです。

一体幾つ大小の山を越えたでしょうか、それはそれはとても長いドライブでした。

実は、私たちを案内するためにチェンマイの友人は立派な日本語の資料も準備してくださっていました。

資料から
チェンマイからクンユアムまでの日本兵たちが造った道
私たちはこの道を辿ってクンユアムへ行きました


途中、昼食のために寄ったレストランの辺りには首長族(くびながぞく)と言われるカレン族の集落も近いらしくモニュメントが飾られていました。 

自然豊かな気持ちの良いレストランで


ここで休憩をとった後は走り通してクンユアムに着いたのは夕方でした。


日本軍は第二次世界大戦の対インド、ビルマへの基地を、このクンユアムの地に置いていたそうです。
当時の様子が下に掲載した記事[戦争と友情]に書かれていて、とてもよく分かります。

クンユアム住民の方の体験談
右下の文には
クンユアムへの道が造られたことが
書かれている
写真はクンユアムでの
兵士たちのスナップ


資料の中には、上のような日本兵士たちの折々の様子が写真に多く残されています。


クンユアムの町に一泊して翌日まで資料館などを周りました。
当日は、予約してくださっていたコテージの宿に一旦荷物を置いてすぐに近くの日本兵が祀られているお寺などへお参りをしました。

タイの地でどんなお参りをするべきか悩みましたが、事前に日本からお線香を、送ってもらったものを持参しました。

町の中心部に近いあたりにあるお寺の近くには、日本兵たちが過ごしていた様子が像を造って再現してあり、当時の車なども相当錆びて朽ちた状態ながら置いてありました。

まるで目の前で当時を見ているようで胸が熱くなりました。

近くにはお墓や塔が立ち並んでいます。[トップの写真]

墓守の方ともお会いできて、お線香を手向けて良いかお尋ねし、手向けさせてもらいました。

夕暮れ時とも重なり、なんとも言えない重い時を過ごしました。

木陰で休む日本兵の像
日本兵の像
日本軍が使っていた車も残されている
お線香を手向けて
残りは墓守さんにお渡ししました
左の碑には[日本軍将兵遺骨埋葬の地]と書かれている


その夜は、夕食を友人の知り合いのお店に行きタイの鍋料理などをいただきました。
この辺りには中国からの移民の方たちも多いとのことで、その日は小さな子供たちをたくさん連れた家族連れの方たちと一緒になり、この地が国境の近くの町なのだということを実感しました。

中国からの移民の方たちと


翌日はこの町で日本兵たちが暮らした跡地や資料館を訪ねました。

当時、野戦病院として使われたという大きなお寺にもお参りしてお坊さんとお話し(と言っても話せませんが、なんとなく気持ちは通じました)をし、私へのお祓いのようなこともしてくださいました。

当時、病院として使われたお寺にお参り
お坊さんに優しく語りかけていただきました


このお寺の周辺にはたくさんの田畑があり、低い山々に囲まれた田園風景はまるで日本と同じ光景です。

日本の兵隊さんたちは、この地で、さぞ日本の故郷を偲ばれたのではないかと、とても切ない気持ちになりました。また、こんな景色に囲まれて少しは気持ちが和んだのかなぁなどと少し嬉しい気持ちにもなりました。

次に訪れた資料館には、日本兵たちが使っていた諸々の道具や衣類なども展示されています。
そして多くの写真など、日本語の立派な冊子なども準備されて居ました。
館内の展示物の写真を何枚か載せてみます。

お経や数珠など
これはアイロン
うまく写っていませんが😅
アイロンがあったのには驚きでした。
こういう大きなパネルもたくさん掲示されている
私のカメラでははっきり撮れていなかったので
冊子の中写真から
銃器や衣類など身の回りのものなど
日本軍の作戦図?


日本軍が使っていた食器


 ここで過ごされた元日本兵の方々や関係者のご尽力もあったことだろうと思いますが、こうして戦後70余年が経った今、遠いこの地点で土地の方々に厚くお祀りいただいていることに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

このクンユアムの町を車で巡りながら、まるで町全体で日本兵が供養してもらえている雰囲気を感じました。

クンユアムからの帰りは
来た時とは違う、わりと近い距離の道路をチェンマイに向かいました。

途中の峠では、土地の産物を並べたお店があり、野菜、果物、米、豆などがたくさん並び、重いのも構わず、タイの長粒米や豆、また殻付きのままのマカダミアナッツなども買ってみました。このマカダミアナッツの殻の硬さがこれほど硬いものだとは知らずに、これを割って中身を取り出すのは並大抵ではありませんでした!知らなかったとはいえ、一筋縄では割ることはできず、、😅


1番左手前がマカダミアナッツ
栗のような色の物が殻付き



チェンマイの近くまで来てもう1ヶ所、日本兵を祀ってある所がありました。
立派な鐘堂が建っています。

2日間の慰霊の旅


これは私にとっては本当に思いがけない旅でした。

私は戦時中生まれで戦争の記憶は全くありません。
戦地の話などは、中学生の時に、数学の先生が経験をたまに話してくださった程度で、ほとんど直に話を聞く機会もなく、テレビなどで戦争体験を語る方々の話を聞いたりした程度で年を重ねていました。

このような貴重な機会をわざわざご準備いただいたチェンマイのソミヨス様に心から感謝します。

次回はチェンマイの美味しいもののことを書きたいと思います。

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