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シニタイヤツハシネ。が今に至ってまで響くのはなぜだろう

ワタシが言いたいことは、この章タイトルで既に終わっているので、これ以上言う事は何にもないかな?とも思ったのですが、最近いろいろと思うことが多く。

この章は自分の考えを整理するために書きます。

子宮というただの臓器の中で、だいぶ長い間「自分とは違う生き物」を我が身の中に孕み、だいぶ長い間それを我が身の中で育み、死に瀕するほどの大きな痛みと大出血のあげく「自分とは違う生き物」を生み出し、幸運にも死なずに生まれてきた「自分とは違う生き物」を育てることになる。

と、いうのが、妊娠と出産です。

妊娠と出産を、3回経験したワタシが特権的に語ります。

妊娠と出産は「それ」を経験したことがない人が普通に考える「辛い」「痛い」を数十倍超えてきます。

「辛い」「痛い」のレベルが違います。

みなさんは『エイリアン』という映画を見たことがありますか?

あの映画は、人間がエイリアン(異星人)に「寄生」される話なのですが、あれは妊娠・出産のメタファー映画です。
※言い切ってしまいましたが、ワタシがそう思うだけなので異論反論どうぞご自由に。

あの映画では「自分とは違う生き物(異星人)」を孕み、我が身の中で育て、死に瀕するほどの大きな痛みと大出血のあげく「自分とは違う生き物」を生み出す。という「出産」と同じ過程をたどる(有機体である)人類が数多く出てくるのですが、いわゆる普通の人類の妊娠・出産と違うのは「母体」が100パー死ぬやつ。ということです。

いやぁ~~~コワいですね。コワいですねぇ~~

幸いなことに今のところ、人類は、子どもを生んでも「母体」が死ぬ確率は100パーではありません。
昔は50パー?ぐらいで、半分ぐらいの「母体」は生き残ってなんとかしていたみたいですが、科学の力で今や高い確率で「母体」が生き残ることが可能な世の中になりました。

科学技術、バンザイです。

その科学技術のおかげで、ワタシは子どもを3人孕んで産んでも、死ぬことはありませんでした。

これは本当に幸運としか言いようがないことですが、言いたいことはワタシが幸運だったということではなく。

こどもを孕んで産むことは、命がけであり、無事に「母体」と「子ども」が生きている確率だってごく僅かだった時代が長く、今だってそんなに確率が高くないよという。

生まれてきただけで、人類は奇跡的なやつなのよ?というね。

いま人類のなかで「死にたい」と思っている人に言いたい。

死ぬのは自由。死にたいなら死ねばいい。

ただ、死ぬ思いをして孕んで産んだ「母体」に対して落とし前を付けずに死ぬな。

「母体」を憎む気持ちはワタシはよくわかる。自分もそうだった。

ただ「母体」がどうであれ、自分は自分なんです。人類のひとり。
生まれてきたからには、人類として落とし前をつけない限りは自分の人生を始められんよね。

ま、本音としては。とりあえず『エイリアン』見て~!しかない。

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