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"若者たちに「自立」を求める圧力を弱め、「辞めてもいい」と言える社会を作ること。"

ものすごい実践をされたあとに、「学校だけでは限界」という結論に達された記事。とてもいい記事でした。

自立に向けた教育のジレンマ  伊藤秀樹 / 教育社会学(2019/05/16)
https://synodos.jp/education/22545

伊藤先生は、ある高等専修学校で10年間フィールドワークを行っておられたという。この高等専修学校に通う生徒は、D×P(ディーピー)で出会う定時制・通信制高校の生徒と似ているところがあるなと感じたのは、この記述からだった。

私がフィールドワーク調査を行ってきたY校は、発達障害の診断を受けている生徒が半数を超える、高等専修学校の中でも特殊な学校です。一方で、発達障害などの診断を受けていない生徒も在籍し…(略)彼ら/彼女らの多くは、学業不振や不登校、非行傾向、対人関係の苦手さなどの背景があり、全日制高校への進学が難しかったためにY校への進学を選んだ生徒たちです。

そんな生徒の背景を踏まえた、この専修学校の先生がたの努力が本当に圧倒される…。ものすごい実践を、日々高校現場でされている。

まずは彼ら/彼女らが登校し続けられ、卒業できるようにするための手立てが必要になります。そのため教師たちは、日常的に生徒の反応や表情に目を配り、生徒が登校しないときには家庭訪問をしたり一緒に学校で宿泊したりするなど、生徒たちが登校を継続できるよう、「密着型」の教師‐生徒関係を築いていきます。また、友人関係がうまく築けず、そのことが不登校のきっかけになる生徒もいます。そのため教師たちは、友人づくりの手助けを行ったり、生徒間のトラブルに細かく目を配ったり、場合によってはトラブルに介入したりするなど、生徒間の関係をコーディネートしています。
(略)
教師たちは、離職や中退を考えたときには必ず相談に来るよう卒業間近の生徒たちに伝えており、実際に卒業後に彼ら/彼女らの相談に乗っているケースも見られます。
またY校では、卒業1年目と2年目に卒業生が教師たちとともにY校に集まるイベントを設けています。こうしたイベントは、教師たちが卒業生の就業・就学後の様子をうかがうという意図もあって行われています。

ひいええええ…。ものすごすぎる…。
(先生がたは寝てるのか…)

定時制高校の先生も、生徒と一緒に生活保護課に行ったり、親と離れて暮らすことになったので物件を探しにいったり、毎日のコミュニケーションに気を配られていたり、本当に頭の下がるような毎日を送っておられる方が多い。


一方、Y校では、就職後の離職率が高いことから「自らの力で困難を乗り越えられるための、辞めないための指導」を始めたという。苦労して何かを成し遂げる経験をさせたり、3年は我慢して仕事を続けるよう念を押したり…。それが今につながっている、よかったと語る卒業生ももちろんたくさんいる。でも一方で、それによって、こんなことが起きたそうだ。

離職・中退した卒業生たちはフリーターや無業の状態になることが多く、職を転々としていたり、引きこもりや昼夜逆転の状態であったりすることも少なくないそうです。教師とのつながりを断ってしまう卒業生も少なくありません。こうして彼ら/彼女らが「自立」から遠ざかっていく背景には、「辞めないための指導」があったと考えられます。というのも、離職・中退した卒業生たちがこれらの指導を思い返したとき、「我慢する力が足りない」「教師との約束を破った」「自らの言動の問題で離職・中退に至った」というふうに、自身のことをネガティブに捉えざるをえなくなるためです。「辞めないための指導」は、本人が内面化すればするほど、離職・中退した際の自責の念やそれによる精神的な苦しみ、教師への後ろめたさを高め、「自立」に向けた再起を妨げるものとなりえます。

うわ〜〜〜〜。
なんかもう、すごく、かなしくなる。

自分はだめだ、自分ができないから辞めてしまったんだ、と思わせてしまって、卒業後に困った時にますます先生を頼れなくなってしまう状況に置かれてしまうなんて。


「教育(教え・育む)」という言葉のなかには、"その人が変わればいい"という、考えというか、軸のようなものがある。自立できる人に育てよう!社会に適応できる人間にしよう!という力がはたらく。「教育」というルールと文脈のなかでは当人の努力はある程度は報われる。

(漫画『サプリ』の一巻に出てくる「努力が評価されるのは義務教育まで!」のセリフのなかに、教育という場の特徴的な考え方が詰まっているように思う。個人がどんなに変わろうと、強くなろうと、どうしようもないことが山のように起こる。)


生徒に密着してひとりひとりに寄り添う。でも小中学校と違って「卒業=社会に出る」だから、それを見据えて取り組まなければいけない。そしてその様々な実践が多忙化を招き先生を疲弊させる。

あんまりに、先生や教育現場に全てを押し付けすぎで。そして、「あなたが変わればいい」にのっとって実践することで別の問題がもたらされるんだ、という悲しい事実を目の当たりにしたような気がした。

伊藤先生もこのように指摘されている。

Y校の場合、卒業生が離職・中退に至った原因は、本人の精神的な問題だけでなく、実際には、家庭の経済的困難、長時間労働、人間関係での孤立やいじめ、業務内容上の困難、会社・学校への不信感など、多岐にわたっていました。離職・中退の責任を、職場・学校の体制や人間関係・業務内容のミスマッチなど、本人やY校以外に求めるべきケースも少なくありません。
(略)
一番重要なのは、若者たちに「自立」を求める圧力を弱め、「辞めてもいい」と言える社会を作ること。
(略)
「教育で始末をつける」ことばかりを目指すのではなく、教育にできることとできないことを区分けして「社会で始末をつける」道筋を考えていくことこそが、重要だと考えています。

本人が力をつける、というのも、確かに必要なんだけど、でも「すべてその本人が力をつけて、変わればおさまる」社会になっていくのも、とてもおかしい。

そんなすべての対策を打って鎧をまとった人間を量産するよりも、辞めても良くて、だめでもよくて、だめなところもたくさんあるけれど何人かには愛されてて、楽しかったり悲しかったりしながらぼちぼち生きている人が増える社会であってほしいと思う。

わたしはD×Pで、そういうセーフティネットをつくりたい。

卒業後困った時に、それが良い状況でも悪い状況でも後ろめたさのかけらもなく連絡してもらえたらいいと思う。ボランティアとなる人が増えて「否定せず、関わる」の姿勢でいられる大人が増えていって、「だめでもよし」と笑える風景がそこかしこで生まれたらいいと思う。辞めてもだれかとつながれて、「こんな仕事あるけどどう?」「ひとまずここ住む?」と声がかけられるようなことが起きたらいいし、在学中から、先生だけでなく様々な大人が高校生を見守れるような機会がたくさんあったらいいと思う。

一番重要なのは、若者たちに「自立」を求める圧力を弱め、「辞めてもいい」と言える社会を作ること。

まさに、です。

こんな胆力ある記事をシノドスに出してくださった伊藤先生に、本当に感謝したいです。(お会いしたことないですが…この記事で知りましたが…!)ぜひいろんなお話をお聞きしたいな。


ちなみにD×Pは、こんなところです!
通信・定時制高校の生徒を中心に、つながる場とシゴト・暮らしをつくる取り組みをしています。

現在(2019/05/17時点)、クラウドファンディングもしています!
1000万目標に向けてヒイコラいってます…!ぜひ力を貸してください。


サポートも嬉しいのですが、孤立しやすい若者(13-25歳)にむけて、セーフティネットと機会を届けている認定NPO法人D×P(ディーピー)に寄付していただけたら嬉しいです!寄付はこちらから↓ https://www.dreampossibility.com/supporter/