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「卒業おめでとう」がてんでおめでたくなかった日のこと

袴のすそが揺れる。

花を持ってさも楽しそうに歩く学生らしき一群を見て、「この中に、本当は卒業後なにするか決まってなかったり、明確な所属先がない人は何人いるんだろう」とぼんやり思った。本当は「おめでとう」がてんでおめでたくなかった人は、何人いたんだろう。所属先はあるけど、家族の事情を抱えていたり、病気がちだったり、内定先に不安を抱えていたり、人の事情はそれぞれだ。案外、不安や焦りや苦しさで胸いっぱいだった人の方が多かったかもしれない。

わたしは、当時「卒業おめでとう」と言われてもてんでおめでたくなくて、奥底にある不安と焦りが立ち消えないような思いでいた。

生暖かい南風が吹き始めたころ、10年前のわたしは初めて荻窪の税務署に行って開業届を出した。確定申告が終わったばかりの税務署は静かで、職員さんになにか聞かれるのかと思って身構えたけど、「はいはい開業届」と言われただけで、あっけなく開業届は受理された。なんともはや、その構われなさにさらに切なくなった。わたしは構われたかったんだ…と気づいてさらに恥ずかしくなった。

住民税を払い、年金を払った。容赦なくポストに届く手紙が国から請求された恐ろしい金額を告げた。通帳の残金を見て、また請求額を見やって、ため息をついた。

今となって思えば笑ってしまうんだけど、この時ある宗教に勧誘された。丁重にお断りしたが、わたしの奥底に潜む不安をあおるような言葉遣いがあまりに甘く、そのまま甘さに浸ってしまいそうな気分だった。

まさか勧誘されるなんてなあ、と思いながら、業務委託先に向かった。わたしは業務委託先で、コップを洗い、スリッパを整え、トイレを掃除した。「フリーランス」がてんで呆れるけど、でもわたしは、コップを洗い、スリッパを整え、トイレを掃除していた。買い出しに行き、郵便局に行き、リストを整理し、事務所を掃除した。だれかから求められる仕事を、ひたすら丁寧に受け取った。

いまから思えば、なぞの宗教のなぞの偶像よりも、コップをひたすらきれいに洗っていたその一つ一つが、あの時の自分を救ったな、と思う。自分がしたことそのものに、なにより自分が救われていた。就活もしなかった。あてにしていた仕事はできなくなった。税務署の人には構われない。所属先もない。何にも構われないような思いでいた。構われたいと思っていた自分にも辟易していた。でも自分の行動そのものになんだか救われていた。

そして、その行動一個一個が、「誰かのわたしへの期待」に変わって、次第に仕事が舞い込むようになった。不思議だった。こんな仕事、どうしてわたしに頼んでくれたんだろう。どうしてこんな仕事を私に依頼してくれるんですか、と一度、ある人に尋ねたことがある。その人は「口紅に気づいて丁寧にコップ洗える人なら、コップ洗う以外のこともさせてみたいって思うでしょ」と爽快に笑った。

あのときのコップが積み上がって今になる。


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