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サチコのことわざウナ19「覆水壺湯に返らず」

おはようございます。

埼玉の朝は快晴です。今日は朝投稿です。

さっき足の上に無印良品の「持ち運びできるあかり」を落としてしまい、5分くらいもんどり打っておりました。どこかにちょっとぶつけただけでも物凄い青あざができる体質なので、この記事を書き終わる頃には足の親指がすごいことになっているかもしれません。もっと注意すればよかった。

覆水盆に返らず。

ネタじゃありません。本当に落としたんです。


さて。「覆水盆に返らず」とは、「一度起きてしまったことは、二度と元には戻らない」ということですね。あれ、じゃあ私の失敗談はちょっと意味が違うかな。これじゃ青あざが治らないことになってしまう。どちらかといえば「後悔先に立たず」でしたね。

改めまして。

「覆水盆に返らず」とは、二度と元の形には戻らないことを言います。しかしサウナではこれを「覆水壺湯に返らず」と言うんですね。

つまり↓

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あらららら。こんなにお湯が溢れちゃったよ。


だから? 

と言いたいお気持ちはよくわかります。私も今回ばかりは、どうオチをつけたら良いのかわかりません。お湯に見立てたビニール袋のマチが見えてることに、軽いツッコミは入れられますが。

えっとですね。溢れてしまったお湯が壺湯に戻らないことよりも、こんなに溢れるくらい、私の体重は重いのかということにサチコはショックを受けております。「覆水壺湯に返らず恥ずかしい」というわけ。・・・苦しい。

壺湯って思っている以上にお湯が溢れませんか? しかもどんなに静かに入っても、必ず「ザッブーン」っていい音をさせてお湯が溢れていくんです。恥ずかしい。気にしたことない? おかしいな。

では、

「覆水壺湯に返らず」という経験はなくても、「覆水盆に返らず」という経験はありますよね。二度と元に戻らないようなことをしてしまった苦い経験。その水はうっかりこぼしてしまうこともあれば、長い時間をかけて流れ出て行ってしまうこともある。時間が経てばまた新しい水で満たされるとわかっていても、その時は空の入れ物を抱えて落ち込んでしまうものです。

私にもそういう経験は数限りなくありました。ただ私の場合、小さなことではよく後悔するのですが、大きなことではあまり後悔しません。例えばサウナの食堂で、「あっちのご飯にすればよかった」とよく後悔しますが、「このサウナに来たこと自体が間違いだった」と悔やむことはほとんどありません。

あれ。

どっちも小さいことでした。


いやいや、かなり大きな失敗をしたことも勿論ありますよ。そんな時私は落ち込むよりも先に、流れ出てしまった水を人目も気にせず必死でかき集めるタイプなんです(笑)。 みっともないとわかっていても、とことんもがきます。それが無理だと分かったら、今度は別のところから必死で水を汲んできます。温度や水質なんて気にしません。柄杓に穴が空いていようが手で押さえて走ります。とにかく壺湯を元のように水で満たそうと、一人でもがき続けるのです。かなりイタい人間です。

でもそれは、それほど大切な壺湯だったから。

そうでなければ、「あーあ」で終わりです。「他にも壺湯あるわー」「別に壺湯でなくてもいいしー」となります。


失敗したなと思った時、

・潔く諦めて、「ハイ、次!」の人

・これも経験だとか、仕方ないじゃないかとか自分に言い聞かせて、一人で忘れようとする人

・諦めきれず、もがく人

の3パターンに分かれますね。もちろん私は一番最後です。潔く諦められたらどんなにいいかと思うんですけど、それができない。そんなことしようものなら、逆に頭の中でずっと後悔の念が渦を巻き続けるんです。自分の正直な気持ちに蓋をするのは苦手です。動くことでもっと傷つくこともありますが、そうしているうちにやっと諦めがついて来る。

でも年齢を重ね、経験を重ねて思うのは、上記の3パターンどれを選んでも、結局壺湯の水は時間とともに別の水によって満ちていくということ。

「覆水壺湯に返らず」されど「新たな水が必ず壺湯を満たす」のです。だから終わったことを後悔する必要なんてありません。だって結局、

壺湯も人生も、源泉掛け流しだから。


うまいことを言ってしまったとサチコ、ドヤ顔してます。たぶん読者はポカーンだと思うけど。これも後悔はしませんよ。


さあ、今日はまだ始まったばかり。でも今日の「ことわざウナ」はこれでおしまい。また明日も「サチコのことわざウナ」でお待ちしています。

サウナのサチコより。




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