見出し画像

痛み(サウナじゃない話②)

肩が痛くて目が覚めた。
こんなことをもう5か月も続けている。しかし今回は夜の1時に目が覚めて、結局朝まで眠れなかった。夜が明けて痛みが少しやわらいできたので、これからでも眠れるんじゃないかと、まだ布団の中で粘っているのだが、体の疲れとは裏腹に、心臓だけが大きな音を立てて眠らせてくれない。

眠れないと私はYouTubeを観る。あるいは音をかなり小さくして聴き流す。でも今回はそれをしても子守唄にはならず、かえって耳障りなのでやめた。そこでふと、アマプラで映画を観ることにした。

以前、コミックを1巻だけ買って読んだことのある、『メタモルフォーゼの縁側』だ。

BLコミックが縁で友だちになる、おばあさんと女子高生の話。なんせ1巻しか読んでいないので、二人が親しくなるあたりまでしか知らない。帯を見て、年齢差とBLという設定が面白そうだと思って買ったのだが、ほんわかすぎる内容に、続きを買うまでの気持ちが当時は湧かなかった。

映画では女子高生の視点で、うまく生きられない人間の成長物語が描かれていた。成長物語といってもよくある男女の甘酸っぱい恋愛ものなどではなく、おばあさんとの交流、おばあさんの人生の後悔との関わりからそれが描かれていて、面白かった。

テーマはなんだろう。
おそらく一歩踏み出すことの難しさ、大切さか。その勇気を出したところでそれが必ずしも良い結果を生むわけでもなく、かえって傷つくこともある。そしてその一歩はそんなに大きな出来事でもなく、日常にいくつも転がっている。若いからこそすべてが息苦しく辛いのだろうが、老いた視点からみればどれもこれも瑞々しく、人生の中では大事な一歩なのだと分かる。

私は先日、東京に行った。そして10年近く通ったシナリオの学校に立ち寄ってみた。以前と変わらず、事務所の窓ガラス一面に、コンクール受賞者の名前が貼り出されていた。その中に、同じクラスで学んでいた女性の名があった。そうか、とうとう受賞したのかと思うだけで通り過ぎた。どんなコンクールなのか見ることもしなかった。

事務所の中では、私が通っていた頃に辞めたはずの女性がいた。そうか、戻ってきたのかと驚いた。私のことなど覚えていないだろうが、目を合わせたくなくてすぐにその場を離れた。

『メタモルフォーゼの縁側』では、主人公が漫画を描く。締め切りまで必死になって描く。別に夢を叶えるとかそんな大層なことではなく、ずるい自分に嫌気がさし、好きなことに必死になってみるのである。苦しんで悩んで追い込まれながらも、無事に描き終えたことに対して「楽しかった」と呟く。

その姿を私は自分に重ねて観ていた。私はシナリオが楽しかったのか。


眠れなくてちょっと書くつもりが長くなった。スマホで書いているので腕が辛くなってきた。

痛みは続く。同じような気もするけれどきっと、毎日違う痛みなのだろう。いつか治ると言うけれど、こうして痛くなくなるのを待っている時間が惜しい。夏が終わる。一年が終わってしまう。メタモルフォーゼの主人公のように、早く何かに打ち込みたい。


まずは洗濯かな。
今日も暑くなるらしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?