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編集者って最高

何件か校正をさせていただいて、驚いたことがあります。

それは、書き手のみなさんが、自分の欲望を文章にしているわけじゃないってこと。私は私のために書いているので、みんな自分のために書いているんだと、心のどこかで思い込んでいました。

そんな私の勝手な先入観、偏見は、物を書くだけでなく、何かを表現して、つくりあげている方たちに対しても、その作品に対しても、非常に失礼なものだったと、今更ながら、改めて、感じています。

もちろん、自分で何かを作り出そうという活動は、自分の思いが根幹になければ始まらない。何をやりたいのか、どうやりたいのか。私は、人によって違うそれを、それぞれの作者がこだわるものを、的確に見極めて、同じ方向を見て歩けるようになりたい。その欲求の奥底にあるものを、丁寧に丁寧に、引き出していきたいちゃんと届くように

いま趣味でやらせていただいているのは校正ですが、校正作業も含めて、編集の仕事って、最高だな、編集者って、最高だなって思います。改めて強く。

そもそもこれまで編集者としての経験も3年しかなく、すでにブランクが1年近くなっている…という立場で偉そうに語れることもないんだけれど、私が「編集者って最高!」と思うポイントを5つ、忘れないように、書いてみます。


① 全部まわりがやってくれる
1冊の本を仕上げるまでに、著者、ライター、デザイナー、イラストレーター、カメラマン、DTP、印刷所……いろんな方々が関わります。編集者はその中心にいて、目指す方向を決め、道筋を整えるのが仕事です。
「こうしたら面白くないですか!? できます!? お願いします!!」って言うと、それぞれのプロのクリエイターさんたちが仕上げてくれる。…というのは大げさですが、自分では文章も書けないし、絵も描けないし、デザインもできないし…何もできないのに、ものづくりの真ん中にいられる。なんて贅沢なんだろう。ものすごい待遇がいい。

② 最初の読者になれる
ライターさんが仕上げてくれた原稿も、デザイナーさんが仕上げてくれた装丁も、最初に見れるのが編集者です。これもある意味では、完成品として世の中に出る前の、生まれたてほやほやの作品たち。
誰かに「これは素晴らしい!」とも言われていないし、「なにこれつまんない」とも書かれていない。ただただ、作品と、自分の、初対面の一発勝負。それを良しとするかどうするか、自分にしか判断できない。
その緊張感と、不安と、恐怖と、迷いと、何より喜びで、最高にぞくぞくする。もう何カ月も経験してないけど、忘れられないです。一生味わっていたいと思う。

③ 作品に口を出せる
最初の読者、と言ったけれど、それまでにも打ち合わせをして、指示出しをしているのは編集者自身なので、まったく新しい作品を見て論評するという感覚とはもちろん違います。
あ、私がこうしてくださいって言ったけど、これ悪手だったわ、失敗した、って思うこともあります。私はそのほうが多かったし、むしろ「どうしたらよかったんだ?」って後から悩んで答えを出せないことばっかりだった。
でも、それでもまだ大丈夫で、まだ完成していないから、まだまだ口を出せる。本当のいち読者であれば「な、なんでこんな展開にしちゃったの? やだもう読みたくない!」って投げ出すか、ぐちぐち言い続けるしかないんだけど、編集者は大丈夫、いくらでも軌道修正して口を出せます。他の立場では絶対にない特権である。この旨みはすごい。

④ 作者の思いを知れる
じつは私が一番楽しかったのは、これかも知れない。作者はもちろん、他のクリエイターさんたちについても。どんな人生を送ってきたのか、世の中や人をどう見ていて、何を思い、何をどう、伝えようとしているのか
お互いの表現者としての信念を知って尊重しあうことで、もっといい方向に、もっと強い推進力でもって、進んでいけることがある。
今は物やらコンテンツよりそこに秘められたストーリーが売れる時代だからっていうこともあるけど、それを抜きにしても、どんな人が、なにを考えてものを生み出しているのか、知ることができたら嬉しいよね。編集者はものづくりの過程も背景も人の思いも、すべてを目の当たりにすることができる。この特等席から見える景色は最高です。

⑤ 我が物顔で宣伝できる
よくツイッターで「みんな聞いてー!!!これこれがおすすめなの!!!」っていうのがまわってきます。オタク界隈にいるから余計なんだけど、やたらこう、私だけが知ってる情報なの!みたいなノリが強めなね、場合もまあ、あって。私はそれが苦手である。そうです、僻みです。
でも、それを唯一、堂々とできるのが編集者。自分は作り手のパートナーとして、読者の代表として、誰よりもその作品のことを、深く、広く、あらゆる角度から、知り尽くしている。誰よりも愛してる。
いや、作者には負けるでしょ、って思われると思うんですけど。張り合うことでもないんですけど。作者と良いパートナーになれた作品においては、作者より愛せてると思う。というか編集者として作者に愛されるようになる(笑)。ゆえに可愛い我が子(作品)を私に預けてもらえる。だから余計にしっかり育てたいって思う。


さて、ここまでお読みいただいて、気づいている方もいるでしょう。私、「読者に楽しんでもらうためにつくる」というところまで、たどり着けなかった編集者なんです。半人前どころか、スタートラインにも立てていない。

もともと何もわからない状態で、出版社に入ることだけできて。何もわからなかったから、できることから一つずつ、近いところから攻めていって、まずはライターさんたちと仲良くなろう、著者さんと仲良くなろう、そして読者のことをもっと考えられるようになろう、っていうことを意識していました。

そして3年働いて、ライターさんや著者さんと、自分なりに目標にしていた関係性を、少しずつ構築できるようになってきて。企画を考える、読者のために本をつくることの難しさに直面して、うわっ楽しい、と思い始めたところで退職しちゃいました。

ずっと、漫画や絵本や、映画、小説も、読者として親しんできました。でもそれだけじゃ満足できなくなって、編集者という職業についた。いま、校正という作業をさせていただいていて、改めて思ってます、これだけじゃ足りない、と。

編集者は、読者であり、作り手のひとりであり。「つくりたい」という人たちが、知恵を絞って、アイデアを出し合って、持てるスキルすべてを集結させて一つの作品をつくりあげる、その過程すべての目撃者です。

こんなに面白い場所、誰にも譲りたくない。他の誰かが、私のやってみたかったことをやってのける。私が見せたかったもので、人を喜ばせている。それを、ただ読者の立場で、指をくわえて見ているのが悔しくてたまらない。

今はいまで、試してみたいこととか、いろいろあって、派遣の事務員として働いてますが、また編集の仕事をしたいと思っていて、その道を探っているところです。でも、書籍編集者とか、雑誌編集者とか、そんなくくりはいらない。職業としてじゃなく、生き方として、「編集者」でありたいと思う。


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