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書きたいことを書いたら負け

文章を書くとき、テーマから決めるのか、結論ありきなのか、使いたいフレーズがあるのか、などなど、どこから始めるかは人それぞれ、その時々によって変わると思います。

私の場合、いずれのやり方であっても、文章を書くときに思い出すようにしている、先人たちの言葉がある。書き方というか伝え方というかの、極意みたいなもの。


■極意その一
酒の席で「これだけは言っておいたほうがいいな」と思うことは大抵「それだけは言ってはいけない」ことである。

多分ツイッターで見た。でも原典を発見できませんでした。ごめんなさい。そして元々とは若干違う意味合いで私は教訓にしている。

なんかいい感じのフレーズ浮かんだ!かっこいい!絶対ほめられる!これ使ってnote書きたい!……というノリで私は書いてる。

けど、これ!っていうフレーズには、自意識がぎゅっと濃縮されすぎていて、ウケにくいと思う。ほら私いいこと言ってるでしょ!?って気持ちが伝わりすぎるとダメ。


■極意その二
小論文は序論・本論・結論で構成します。まず序論を書きます。書けたら、全部消しましょう。そこからが本当の序論です。

大学入試に備えて高校生のときに教わったことです。本論にたどり着くまでに右往左往するのは、小論文でもエッセイでも小説でも同じなのかもしれない。

私たちはいつも、プロローグのためのプロローグを書いてしまう。筆が乗る前だからどうしても自分の思いとか邪念とかぼんやりしたイメージが言葉になってしまう。

全部捨てる。全部いらない。まだ悩んでいる君の思いは一切いらない。


■極意その三
1000字のレポートを仕上げるためには、まず1万字書きなさい。使えるのは最後の結論だけです。

大学のゼミの先生の言葉だったと思う。先生も論文を書くから、もうほんとに嫌なのよ、みたいなテンションで言っていた気がする。

情報を集めて、取捨選択して、人に読んでもらえるような文章に仕上げるためには、10分の1濃縮くらいじゃないと、クオリティとしてダメなんだって。

確かに、例えば取材をして文字起こしをした時点で1万字あっても、文章にしてみると1000字になるかどうか、くらいだと思う。


あれ、困った。こんなnoteを投稿しようとしていながら、プロットとか下書きみたいなものがないので、3つだけだったっけ?他になかったけ?って書きながら困ってる。思い出したら追記しよ……。

と書いているうちに思い出しました。


■極意その四
読んだ人に想像してもらえばいいんじゃないの?

小説のようなものを担当していたとき、どうしてもこの台詞を入れたい!けど入れると会話のテンポが悪くなる……でもどうしても言わせたい!というフレーズがあって、先輩に相談したらもらったアドバイス。

自分の内側にあるものを誰かに受け取ってほしいなら、伝わった何かをその人の内側で育ててほしいなら、自分が一番言いたいことを、書いたら負け。

読み手とのコミュニケーションを生むには、相手に感じ取ってもらわないといけない。「この人はこういうことを言いたいのかな」「私はこう感じたな」と、結論は、相手に委ねる。相手に考えさせる。読者を信じる。それが大事だと思う。



と、ここまで書いちゃうの、ダサいよな~って思いながら、書いちゃう。「書きたいから書く」人にとっては、書きたいように書く、が一番大事なはずだ。

一方で、伝えたい、受け取ってほしい、という気持ちで書いたnoteは、私のY子ちゃんからの反応も良くて、スキもたくさんいただいたりして。「書いてたけど、消した3行」を残していたら、台無しになっただろうな。

伝えたいからこそ一歩引いてみる、ことを、心がけたり、心がけなかったり。言葉はツールだから、使い分ければよいと思う。

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