はじめて彼に抱かれた日

それは1999年8月21日、私が9歳の頃のことで、いま思えば私がはじめてセックスした日でした。

私も小さかったので時系列はよく覚えていないんだけれど、彼を見たときはじめは「髪が長い綺麗なお姉さん」だと思ったし、金髪をオールバックにした姿は息をのむほど美しかった。小学2年生のバレンタイン、地元の市民会館に同級生と「るろうに剣心」の劇場版を観に行って、そこで流れた彼らの歌には「え、暗い…」というマイナスの印象を抱くと同時に、「子供向けのアニメでこんな歌を流すなんていったいどんな人なんだろう」と興味を惹かれもした。

そう、ラルクアンシエルの話です。

小学校低学年だった私が彼らの何に魅かれたのか、実のところ覚えていないし、今となってはわからない。間違いないのは、彼らが私が人生ではじめて、自分からライブに行きたいと言い、はじめて、いや唯一野外ライブを観に行き、私が唯一「ファン」であると宣言していて、私にセックスとはなんたるかを教えてくれたアーティストだということ。

まあ、そもそもは姉がラルクにはまっていたから、私も曲を聴いたりテレビで見る機会が多くなって、っていうのが大きな要因だと思う。1999年のグランドクロスの頃、中学生だった姉はお母さんに「ラルクのライブに行きたい」とごね、母は「お母さんはそんなの行きたくないわよ、疲れるし立ちっぱなしなんて」と言った。それならと、今の私と同い年くらいだったいとこ夫婦が、母の代わりに連れていきますよと申し出てくれた。そして「私も行きたい」と、生まれてはじめてだと思う、ここに連れていってほしいと、私はねだった。姉も母もみんな驚いていた。

その日はよく晴れていて、私たちはいとこの車でライブ会場まで向かい、駐車場からひたすら砂埃のなかを歩き続けて、すごくすごく後ろのほうのブロックにたどり着いた。このときすでに私は疲れ切っていたし、まわりは大人だらけで、ステージすら見えなかった。

だけどライブが始まった瞬間、まわりの人間たちのボルテージが一気に上がって(そして私は近くにいた男の人に突き飛ばされた)、世界がラルクの音楽でいっぱいになった。全身で感じた空気の密度と、ただ胸が高揚して、言葉にはできない喜びのようなものにすべてが支配されているという感覚、だんだん西の空に沈んでいく夕陽のオレンジ、終演後に見上げた星空、最後の曲を聴きながらどうか終わらないでと願った切なさ、言葉すら発せないほどの疲労感……そういうものだけは、今でもはっきりと覚えている。

ちなみに、そのほかに覚えていることといえば、MCで、

ハイドさん「みんなかわええなあ」
観客「きゃあああああああああああ~~~~~~~!!!!!!!」
ハイドさん「”きゃ~!”やて~」

というやりとりがあったことと(これが私が人生ではじめて生で聞いた関西弁である)、最後の1曲がPiecesだったこと、終演後に近くのファミレスでご飯を食べて、腕につけたバンドが取れなくてハサミで切ってもらうのが悲しかったこと、くらい。

それ以来、私はラルクのファンでありつづけ、けれどファンクラブに入ることもないし、テレビや雑誌をチェックすることもなく、ライブは必ず行くっていうわけでもない。それどころか、アルバム曲もたいして聞かない。

それでも私にとってラルクは唯一無二、はじめての”男”。彼らと新しく時間を共有しなくても、その尊さが揺らがないことを確信したのは、2015年9月21日、22日のラルカジノに行ったとき。

私にとっては人生で2度目の野外ライブで、この2日間も、西に太陽が、静かに沈んでいった。まるでラルクと私たちの時間を美しく彩るように(もちろん日の入りの時間を計算してセトリが組まれている、これがさいっこうにエグいほどにやばい演出だった)。

9歳の夏と同じ、青からオレンジ、赤に染まって、青く沈んでいく空に、星がきらめいているのを見ながら、ああ、私、ケンちゃんとセックスしてる……と思った。思った、というより、わかった。ああ、これがセックスなんだ、と。

なぜ特にケンちゃんなのかというと、ラルクとはケンちゃんだから。ラルクとはケンちゃんなんです。ラルクのライブに行くということは、あの場所で、あの時間をともに過ごし、彼らの音に身をゆだねるということは、ケンちゃんとセックスすることなんです。

ごちゃごちゃしたおしゃべりはいらない(ラルクはMCがほぼない)、わざとらしい優しさもいらない(ソロで他メンバーの休憩時間をつなぐとかない、普通にライブが一旦休止になる)、終わったあとはすぐに寝ちゃっていい(アンコールもない)、ただそこで、ケンちゃんが、ギターを弾いて、気持ちよさそうにしていてくれたら。私も最高に気持ちよくて、死ぬなら今がいいっ!と思う。今このまま殺してって思う。

ラルカジノ以来、私はラルクのライブに行っていない。それは今やオタクレベルに趣味になった観劇と日程がかぶるからっていう事情もあるけれど。あの夜のこと、あの夜、最高に気持ちよかったこと、満たされたこと、愛されたことを思い出すと、それだけで生きていける。

ついでに。私がフランスに留学したいと思った理由のひとつはラルクにある。「ラルクアンシエル」がフランス語で「空に架かる橋=虹」という意味だと知ったとき、こんなに美しい言葉が生まれるなんて、どんな世界なんだろうって思った。

ラルクの音楽は、私が苦しいとき、さみしいときに、別になぐさめてなんてくれない。寄り添ってもくれないし、離れようとしても「勝手にすれば?」って顔してる。それでも、彼らがラルクアンシエルとして音楽を続けてくれているだけで、今がどれほど苦しくても、そのあと空には綺麗な光の橋が架かるはずだって信じることができるんだよね。

あのときのハイドさんと同い年になった今は、「虹」の意味もなんとなくわかる気がしてる。

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