玉ねぎ3個
・玉ねぎ3個剥いて〜って言われたら
玉ねぎ3個剥くだろう。
玉ねぎ3個分剥いて〜って言われたら…
玉ねぎというものは小さければ150g満たないものもあれば300とか400gあるものある。
人によっては3個という言葉通り3個剥く人もいる。
人によっては3個分の「分」の部分によって4個とか、おっきいものを2個剥く人もいる。
この「分」の部分は人によって感覚が違ったりするんだよね〜
その「分」の部分って経験とかね、感とかね、なんとなくふわっとしたものが大切になったりするんだよね〜
「分」の部分にね頼んだ人と受けた人がね共感したらねそれはなんか「合う」ってことになったりするんじゃないかな?
「分」の部分は人によって違うんだからね、それがずれても仕方ないんだけど、「合う」となんかいいしそこにちょっと信頼なんかが出来たりする。
なんかね、人の信頼とかって
共感とかから生まれたりするのかもしれないなんて思うんです。
感覚が「合う」ってけっこううれしいことだったりするんだよね〜
でね、その感覚って時間で「合う」って形になったりもするんだと思うんだよ。
みんな元々違う感覚なんだけど五年とか、もっととかのうちなんか「合う」って形になるって思う。
その感覚が「合う」前はね、思いやりとか優しさで「合わせる」って気持ちがあったりするって思う。
そこからちょっとずつ「合う」になったりする。
優しさとか、愛とか、思いやりが重なって
ちょっとずつうれしいを運んでくれるのかもかもしれない。
ブログ紙ひこうき日和より
http://kamhiko.exblog.jp/
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