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【小説】建物の記憶

咲子は弾いていた。

繊細な指が動く。

流れるような音の間を、

ゆっくり、時には急いで、

放課後の音楽室。

当てもなく、時間の限り。

由紀は横で本を読みながら、

待っていた。

「もう十分弾いたんじゃない、帰ろうよ。」

その言葉に、

「あともうちょっと。」

答えるのが、常だった。

大体思ったように弾き終わると、

「帰ろうか。」

聞くのではなく、命令として答えた。

「おっそーい。」

文句を言いながらも、

二人は放課後、時間を共にしていた。

ピアノの音が鳴り響く音楽室、

其処は聖堂だ。

幸宏は時間潰しに苦慮していた。

家に帰ると、楽しくもない事が待っている。

『帰りたくない。』

そんな時、聞こえてきたのが、ピアノの音だ。

聞いていこう思うまでもなく、足が向く。

音楽室には二人の女生徒。

最初は外で聞いている。ゆっくり音が止まる。

パチパチ、手をたたいてみる。

「びっくりした、どうしたの?」

由紀が本から目をあげて、声をかける。

「いい音だと思って・・・・・。」

答えた幸宏に、

「馬鹿にしてるの。」

咲子が怒ったようなふくれっ面で答えた。

「馬鹿になんかしてないよ。」

「だってさ、あんたお母さんに習ってて、うまいでしょ。」

彼は頷いた。

「でも、綺麗に音を出せても、それだけなんだ。」

「何言ってんの、綺麗に音を出せればいいでしょ。」

「思ったような音が出ないんだ。」

「贅沢な悩み。」

その日から毎日その聖堂に3人が集まるようになった。

由紀は今までと同じ様に本を読む。

後2人は交代でピアノを弾きだした。

由紀が言った。

「確かに幸宏はうまいけどなんて言えばいいのかな、

ここに来ないんだよね。」

手で胸を指さす。

「でも、あたしはへたっぴーだから、良いと思うよ。」

咲子は羨ましげに鍵盤を見ながら、

自分の番を待っている。

弾く人が2人になったので、かなり遅い時間になったが、

3人とも気にしなかった。

その日も何時ものように、

時間が過ぎていた。

「何してんの。」

鋭い声がピアノの音を引き裂いた。

幸宏の母だった。

「あんた達、幸宏を変な事に誘わないで。」

「違うよ。僕が勝手にいるだけなんだよ。」

「あなたは、そう言うけど、家で練習してないじゃない。」

「こんな所で弾かなくても。」

咲子と由紀は何も言えず、只、見てるだけだった。

「早く帰って、練習しなさい。」

「あんた達も帰りなさいよ。」

其の声を残して、去っていった。

幸宏が「ごめんね、もう来ないから。」

「ううん、来てもいいよ。」

「でも、迷惑をかけるから、もう来ない。」

2人を残して帰ってしまった。

その日から2人も聖堂には行かなくなった。

建物に記憶があるのなら、憶えているだろうか?

あの甘美な放課後を。









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