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備忘と戒めのための、失態の記録 ー骨折と入院の話ー

5月末、金曜日。
ようやくこの退屈な現場とおさらばじゃ!
と爽快な気持ちでオフィスを出た。

来週からはもう自由だ!

そうそう、来週からもうここには来ないから、ちゃんと荷物を片付けないとね。
ってことで、
一度出たにも関わらずお気に入りの傘を取りにそそくさと上階に戻ったんだ。
雨も降ってなかったのに。

経験上、自転車に傘をさすと落ちてきてしまうので、とりあえず傘を片手で持ちながら持ち帰ることにした。
私の自転車走行は自称・達人レベルで、そこそこの反射神経で軽快に乗りこなしていると自負している。
そんなわけで、傘持ちでたたでさえ不安定なところを、その日は時々立ち止まっては(スマホ忘れたので)iPadでメッセージをやってたりして、さらに調子に乗って途中でスーパーにより、週末の買い物をたくさんした。
で、いよいよ家まで200mくらいといったところで、突然視界がおかしくなった。

どうやら私は転んだらしい。そのくらいの感覚だった。

目の前にいた親切な男性が私と自転車を起こしてくれた。
車輪に挟まった傘を抜いてくれ、本気で心配した様子で「救急車呼びましょうか」「家まで荷物持ちましょうか」とすら言ってくれた。
これは独り身にはかなり染みる言葉だった。

が、何を思ったか、私は「大丈夫っす!」を言い張った。

買い物袋の卵が割れまくって卵まみれで、なんかリュックも背負えないし
足元もふらついてて全然大丈夫じゃなかったけど、なんだかそれしか言えなかったんだ。
強がりもいい加減にした方がいい。

その途方もなく遠く感じる200mの道を、私は自転車をひきながら歩いた。
傘を取りに戻ったこと、買い物に行ってしまったこと、注意の気が緩んだことを激しく後悔しながら。
なんだかひどく情けなかった。

病気や怪我をほとんどしたことのない健康優良児だったので
まさか骨を折ったとは思えなかったのだが、とりあえず骨を折ったことのある幾人かの友人に連絡してみた。
まだ23時前だったと思うが、興奮しきっていたし、とてもこの後動き切れるような感じではないと察し、眠りについた。

寝て起きたら良くなってるはず!という謎の希望があったからでもある。

土曜日
しかし、その期待は見事に裏切られ、最寄りの病院でレントゲンを見せられて唖然とした。

鎖骨がポッキリ折れていたのだった。

レントゲンを撮るのに着替えをするのも一苦労。明らかに位置がおかしい感じは私も薄々感づいていた。
でもこんなに綺麗に行くなんて、なんかもうあっぱれとしか言えなかった。

先生は、固定でも治せるけど手術を勧める、とまで言って、大病院を紹介された。
手術…!!
健康優良児にとっては、まさに初めての経験だった。

診察が終わっても、ほぼ放心状態で、最寄り駅からひと駅分のその病院から、気づけば歩いて帰っていた。

よほど落ちていたように見えたのか、途中で道ゆくおばあさんが「セブンイレブンまで荷物持ってってあげるから」と言ってキャリーカートに載せるように勧められた。「ちゃんと治るんだから頑張りなさい」と、こちらが励まされてしまった。

大病院は新規の受付が午前のみということもあり、そのまま帰宅。
月曜を待つことになった。

「さて、これからどうしようか」

日付変わって月曜日。
患者、先生、受付、看護師の声が飛び交う、騒騒しい月曜の大病院。
いかにも病院病院な感じが緊張を誘う。

大病院といえば、恐ろしい時間待ってまる1日潰れるイメージだったが、案外スムーズに処理は進み、診察には早めにたどり着いた。
しかし、傷を見た先生の第一声は「手術をお勧め」であり、その場でハイ、と帰されることはなく、【手術できる体か検査】が夕方まで続くことになった。
レントゲン、CT、血液、尿、心電図、呼吸…
検査用紙を受付で渡して、検査受けて、また別の課に行って、と検査行脚を繰り返し、手術の可否を調べるのだ。
会社員じゃないこともあって、久しく健康診断もしておらず、まあこれもいい機会だったのかもしれないと捉えられなくもない。
結果は、やはり健康優良児らしくバッチリ健常。
かくして二週間後に手術を行うことが決まったわけである。

それから二週間というもの
そこまでひどい痛みもなく、ほとんど同じ服しか着れないことと、髪がちゃんと洗えないことをのぞいて不自由ない生活を送っていた。
こんなに痛くないなら、もしかして、いつの間にかくっついてたりするのでは…!?
とまたも過度な期待をしていたが、もちろんそんなはずもなく、手術の日はいつの間にかやってきたのだった。

入院当日も、まるで実感がなく、
午前中は原宿で出展する展示の準備に行って、にこやかに友人とパンケーキを食べ、他愛もない話をしていたくらいだ。
病院到着早々、仰々しい説明の数々と同意書の山をさばきながら初めて「あぁ明日手術なんだなあ」と、ようやく実感が湧いてきたのだった。
その夜は適当に本を読んだりネットやったりしつつ過ごしていたのだが、長い間集団生活をしてない人間にとっては、なんだか落ち着かない場所であり、手術の緊張というよりは物音や周囲の声が気になったりして、前日はうまく眠れなかった。

手術は朝イチだ。
体は割と動かせるので、自分で手術着に着替えてスタスタと歩き、手術室へ。
緊張してはいるものの、なんだかまるで実感がない。

手術室の中も、外側は待合室になっており
普通の検査室のような場所と、そんなに変わり映えしないようだった。
入るやいなや、いろんな患者さんと、その手術チームが続々集合してきて、
「看護師です」「麻酔科医です」「医者です」と挨拶をしてまとまって手術室の中に消えていった。

そうこうしているうちに、私も手術室へ案内された。
自分で先陣を切ってスタスタ歩いて行ってるのが、なんだか変な感じだ。
「やっぱりやめる!!」と言ってここで踵を返したら一体どうなるんだろうか、と、これまたふざけた構想をしてみたりした。うん。
部屋は一番奥だそうだ。
あのテレビで見るような“ザ・手術室”がそこにはあった。

流石の私もちょっとだけビビったが、どういうわけかそこまで恐怖心はなかった。
スポンジの敷いてあるベッドに言われるがままに寝そべり、まずは点滴確保して麻酔。1本目で軽く咳き込み、2本目が投入されたその時、麻薬らしい強さの耳鳴りがしたかと思うと、3本目の薬が打たれた瞬間、意識を失っていた。
それから手術が終わるまでは、本当にきれいさっぱり記憶がない。

いつの間にか病室に戻ってきた私の体には硬いチタンプレートと固定ネジがしっかり打たれており、痛みなのか喪失感なのか、何が辛かったのかすらわからないが、柄にもなくめそめそと泣いていた。
手術をした日は驚くほど何もできず、一日寝たりぼーっとしたりで、夜になって声を出したり、携帯を触ったりするのがやっと。
看護婦さんが入れ替わり立ち代わり点滴を変えにきて、熱を測り、血圧を測って、また出て行く様子をただただ眺めていた。
こんな日がずっと続いてしまうのだろうか…と力なく天を仰いでいたー

…と思ったら、翌日から嘘のように順調に回復してきて、今やスタスタ歩けるし、手を動かせないこと以外は元の健康優良児にすっかり戻っていた。
微熱と、ちょっとした傷口の痛み以外は、またうっかり無理しかねないくらい、快調そのものである。
たっぷり休んだし、さて今後に向けて色々仕込んで行こうかな!
でも、あくまで調子に乗りすぎないように、一応こんな記憶を残した次第である。
明日は、いよいよ退院の日。

図解でコミュニケーションを変えることをミッションにここ3年くらい活動