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芳賀書店から考える、マストドンとメディアの未来

分散化SNSのMastodon(マストドン)が流行っている。「加藤」しかIDを取れない「加藤ドン」を立ち上げたいなとか思っていたら、すかさず「堀江ドン」がたちあがっていた。さすがだ。

ところで、メディアがこのような分散化された方向にいくのは、人類の必然だ。ぼくがこのことに気づいたのは、けっこう前のことだ。

その昔、cakesで映画評を書いてくれている伊藤聡さんのブログ「空中キャンプ」に以下のようなコンテンツ評の記事が掲載された。

「もしも朝の通勤電車ががっついたベロキスをするカップルで満員だったら。」

書かれたのは、2007年5月24日。ちょうど10年前、iPhoneが日本で発売されるよりも前のことだ。

一読し、是が非でもこの作品を入手しなければいけないと思い、ぼくは神保町の芳賀書店に走った。知らない人のために書いておくと、芳賀書店はその筋の商品の品揃えにたいへん定評のある老舗である。八重洲ブックセンターとか紀伊国屋書店新宿本店みたいなものと思ってもらいたい。

しかし、お店について、困ったことがおきた。

該当作品が見つからないのだ。ありとあらゆる種類の性癖に対応したDVDのパッケージが、細かく細かく分類されて、大量に棚に刺さっている。有名監督の名作なら平積みしてあるんでしょ、などと考えて品番のメモもとらずに店に向かった自分がまちがっていた。ど素人である。

しょうがないので、店員さんに「えっと、通勤電車で」「ベロキスが」などとうろおぼえのタイトルを発声して探してもらった。静かに、真剣に、作品を物色している男たちの雰囲気をぶち壊したことはお詫びしたい。

ちなみにいまはこの作品、いまはDMMでぽちっと視聴できる。つまり、芳賀書店まで行かなくてもこのようなコンテンツの好みの細分化も体験できるわけだ。


なにがいいたいのかというと、コンテンツの供給が増えると、人間の求めるものは、どんどん細分化していくということだ。そして、インターネットになってそれはさらに加速した。もはや、自分と関係のないクラスタの人々が見ているものは、まったくわからないのが普通だ。

では、そうなると、人々はどんどん、ばらばらになっていくのか?

じつは、そうでもないと思う。というのは、メディアやコンテンツ自体は、人々をむすびつける。たとえば、「けものフレンズ」を見ている人は、つながってるよね? 「cakes」を見ている人、「ほぼ日」を見ている人も、つながってる。

みんな、(本当は)つながってないけど、(心で)つながってるのだ。

つながってないけど、つながってる。というのは、じつは、人類のありかた自体でもある。親子、恋人、夫婦、同僚。そして、そのつながり同士がつながることもある。

マストドンが、新しくておもしろいのは、つながってないけど、つながってる、そういう微妙なところを、プログラムで実装したところだ。マストドンが今後ずっと流行っていくかはわからないけど、ぼくはこの流れはとても正しいと思う。

さらにいうと、その先もあると思っている。この先は、そういう仕組みがもっと洗練された形で広がっていくだろう。ピースオブケイクはそういう仕組みをつくっていきたいと思っているのだ。

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