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ハロー、拝啓

 最後の通常noteの更新から早二ヶ月近く。あっという間に上半期も終わり、季節も夏に変わろうとしている。特に5月後半からは毎週のようにライブに行き、そのライブレポを書くということをしていたせいか、時間の経過は一瞬だった。ただ、それらからくる疲労と日常生活の色々なことが重なったせいでメンタルブレイクをかましていた(今は平気です)。この年にもなって自分の活動限界やキャパシティを把握できていないのは色々と問題だがそれは置いといて、これのお陰で(?)自分の今後について大まかではあるが 。それについても近いうちにnoteに書くのでお楽しみに。


 先に書いた話の続きにもなるが、そのブレイクの要因に失恋のようなものがあった。”のようなもの”としたのも訳があり、自分は恋をしていた自覚がなかった。それに気づいたきっかけはおやすみプンプンだった。ちょっと同時期にビッコマでおやすみプンプンが無料開放されていて、自分も改めて読み返していた。色々と終わったときの感覚が読み終わったあとの感覚と同じだった。「あ、恋してたんだ」と初めて気づいた。と同時に「まだ人の事を好きになれたんだ」とも思った。


 ここ半年一年でTwitterのフォロワーのアカウントが消えることが何度かあった。Twitter上でしかやり取りをしたことがない人もいれば、実際に会ったことがある人もいて、中には別の手段でやり取りができる人もいる。もちろんTwitter上からいなくなることは寂しいが、それ以上思うのは、いなくなっていった人たちが忘れ去られていくことだ。少し前の話しだが、フォロワーの人たちのライブ終わりに飲みにいくことがあった。その飲みでの話の流れで同じ界隈でいなくなってしまったフォロワーの名前をちょろっと出したが、反応が薄かった。もちろん、その場にいた全員がその人をフォローしていた確証がないことも承知だけれども、それがどこか寂しかった。関係値の問題なのか、それとも自分が人以上に人のこと覚えているからなのか…
それはさておき、どんな形でもいいから今まで自分と出会ったことのある人の中の記憶に残っていればいいなと思った。



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