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テレビ屋気取り #65 若林派・春日派論争


ひなくり2021



「ひなくり2021」に参加しました。
ライブ会場でファンクラブ限定の抽選会に参加するために、ファンクラブサイトのマイページを久しぶりに見てみたら、「継続日数654日」と書かれており、日向坂46を応援し始めて2年近くが経とうとしていることに感慨深くなりました。

会場への入場列で、真後ろに並んでいたおそらく同世代の男性2人組みの会話が聞こえてきて、片方の男性が「もともとオードリーが好きで、アイドルとか全然興味なかったから、正直『がな推し(ひらがな推し)』の頃は見るのがしんどかった。」と言っているのには、思わず振り返って「そう思いますよね!」と反応したくなるほどに共感しました。

今回は、私が好きなオードリーと日向坂46から考えたことをまとめようと思います。はじめに断っておきますが、普段の「テレビ屋気取り」とは少し異なるまとめ方になります。



論争の発端は番組のアンケート


上のブログを参考にさせたいただきます。

記憶が定かではありませんが、若林派・春日派の論争がここまで発達するのに至ったその発端は、確か日向坂メンバーに行った番組アンケートだったような気がします。2018年、番組が開始した年のお話です。

今年はじめにまなふぃ(高瀬愛奈)が一連の論争について振り返った回を見返してみましたが、2018年の最初のアンケートは、「オードリーでチームに分かれるならどっち派?」という質問になっていて、決して「若林と春日、どっちが好き?」という意味での質問ではなかったことは新たな発見でした。



この論争を楽しんでいる自分とそうでない自分がいる


この「若林派・春日派論争」は、「ひなあい(日向坂で会いましょう)」の中にとどまらず、各メンバーのSHOWROOM配信でおひさまからの恒例のコメントとして度々登場し、その度にメンバーが明言を避けるように気を遣った返答をしたり、その場面が切り抜かれた動画がYouTube上にアップされたりしています。

この論争との類似問題として「若林の贔屓メンバー」というのもあります。これも番組初期に若林さんがこさかな(小坂菜緒)とおたけ(高本彩花)を贔屓していくことを番組内で発言してから、「私も贔屓されたい」というメンバーが出てきたりして、長い間グループ全体で引きずられている問題です。
これは「ひなあい」にとどまらず、いわゆる外番組でも取り上げられるようになっていて、1番衝撃的だったのは「しくじり先生」の公式が、若林先生に贔屓される日向坂メンバーのまとめ動画をYouTubeにアップしたことです。


番組内でのくだりが各メンバーの配信や握手会にまで影響を及ぼして、その度にメンバーが困惑したり気を使ったりしている様子を見て、「なんかこれは違うよな〜」と思っていましたが、でもそのまとめ動画などを見てしまっている自分もいて、結果的にこの一連のくだりを楽しんでしまっているので、これを前面から否定することはできません。

それなのになぜ今回わざわざここで取り上げたのか、それは自分の内面と照らし合わせて思うことがあったからです。



そういえば自分も聞かれた


高校生の頃からオードリーさんのことが好きだった私は、大学に入ってからも友人にオードリーが好きだという話をしていました。

その度に「若林と春日のどっちが好きなの?」と聞かれていた気がします。
正直どっちが好きとかなくて、人間としてお二人のことを尊敬しているので、そういう質問をされることに多少イラついていたことを思い出しました。
でも、今回よく考えてみて自分なりに思ったのが、「誰も本当はそんなことに興味ない」ということです。友人も話を広げるために気を遣ってこの類の質問をわざわざしてくれているだけで、私が若林さんと春日さんのどっちが好きかなんてどうでもいいわけです。

そう考えると、日向坂メンバーとオードリーに関するこの論争に、自分がこれだけ敏感になる必要はないというわけです。

それなのに、なぜこんなにも気になってしまうのか。
それは先にも述べたように、オードリーのお二人と自分を重ねてしまうからです。



勝手に分析


日向坂メンバーが若林派か春日派かを選ぶ際、何を考えているのかはわかりません。勝手な推測に過ぎませんが、自分の考え方や性格と比べて似ている方を選んでいるのかなと思います。自分がそうなので。

そもそも今回このタイミングでこの記事を書こうと思ったのは、ひなくりに参加したからではなく、ある春日ファンの人を間近で見て考えたことがあるからです。

その方は日常生活の中で「トゥース」や「うまし」を連発し、それを自分だけでなく周りにも強要するそうです。この行為の是非については言及しませんが、なんかいかにも春日派だな〜というのは勝手に感じています。とにかく目立とうとする“テレビの”春日さんにそっくりです。

週刊誌等でも取り上げられたり、相方の若林さんによくいじられたりすることで有名な話ですが、オフの春日さんはパーカーのフードをかぶってマスクをして極力目立たないようにしている人です。

そう考えると、本来の春日さんは日常的に「トゥース」や「うまし」を連発したり、それを周囲の人にも強要するようなタイプではないと考えることができます。テレビでの仮の春日さんの姿に共感してこの人が春日派になったのであれば、それは本当の春日派ではありません。ただ、ここまでゴリゴリに春日さんをコピーしている人なので、ラジオでの春日さんの様子から私が考えるところの「テレビ(仮)の姿」と「本当の姿」の違いくらいは理解していると思います。

全く必要のないことだと思いますが、自分自身と今回のように見てきた方の中から勝手に分析をして、自分の中で出てきた結論として、若林派は「承認欲求」、春日派は「自己顕示欲」だと思います。詳しくは述べません。



自分が目指すべきところは


話をスタート地点に戻します。

どっち派かと聞かれて片方しか選べないのであれば、自分は若林派だと思います。

こんなこと書いていれば当然そうですよね。

言動から自分と似ているところを見出しては、理想の方と自分の類似点に喜びを感じ、少しのズレがあれば自ら限りなく寄せていく。

自分の場合、あらゆることが単なる若林さんの真似に過ぎなかったなと思います。
それに気付きはじめてからは、より俯瞰的に若林さんの言動をとらえるように心がけましたが、自分の中の全肯定フィルターを通してしか若林さんを受け入れることができなくなっていて、今度はそれを若林さんに押し付けようとしていました。

極論ですが、「自分はあなたと似たこういう人間ですよ」というのを認めてもらいたいだけなのかもしれません。その先に何があるのかはわかりませんが。このことの危険性にようやく気づけたのは一つの収穫かもしれません。

これに気づけないまま春を迎えていたら、自分の目的が満たされないままに辛い日々だけが過ぎていくため、きっと目標を叶えられないまま道から外れることになっていたでしょう。

人と人とは巡り合わせです。
「私は若林派です」と近づこうとしたところで相手は知ったことではありません。自分をどう評価してくれるかもわかりません。
その”時”がくるのをひたすら待って、偶然目標は叶うものだということを忘れないでおこうと思います。

先に述べた「承認欲求」と「自己顕示欲」について、私はこれまで同等のものとして考えていました。しかし、その細かなニュアンスには大きな違いがあると思います。
自分がこれからやろうとしていることに対して、自分は「承認欲求」を満たすつもりでいました。ただ、これは大きな間違いだと気付きました。
それでも、ただその”時”を待つだけでなく、自分からチャンスを掴みにいかないと目標を叶えられない世界だというのも強く自覚しています。
ということは、「自己顕示欲」はある程度必要というか、自分をアピールしていかないと打席が回ってこないです。


重度の若林派として、春日派に寝返ってみるのもひとつアリなのかなと思いました。



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2021.12.26 作成


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