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#51「日常」

あれから2ヶ月以上が経った。

note上に溢れるみなさんのライブの感想がトゥースすぎて、ふとした時にライブを思い出してしまう、「余韻」という名のある種の病気にかかってしまい、早いもので気づいたら2ヶ月が経っていた。


職場でもプライベートでも、私がライブに行ったことを知っている人が感想を求めて声をかけてくれる。

5年前の武道館ライブ後の自分だったら、「感想なんてそう簡単に分かち合えねえだろ!」とハスっていたと思うが、今はそうやって声をかけてもらえるだけでありがたいと思えるようになった。

とはいえ、簡単にライブの感想を言語化して共有できるわけではない。
なんかうやむやにしたまま返答してしまう自分に腹が立った。


1年前に東京ドームライブの開催が発表された時、どうにかライブに携わることができないかと思い、仕事としても取り組んでいることを盛り込んだ企画書を番組チーム宛に送ってしまった。


それだけで何かが動くとは思っていなかったが、当然何も起きなかった。

週に1回のペースで更新されるYouTubeチャンネルの動画を観ながら、「カメラの設定…」「もう少しこうした方が…」と思ってしまっていたのは、決して負け惜しみではないと信じたい。


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いつものごとくこの投稿を書き始めて、1ヶ月近く経ってしまった。
「オードリーのオールナイトニッポン in東京ドーム」が終わった後の1ヶ月くらいは、余韻の中から抜け出すことができずにどこかふわふわした日々が続いていたが、それがなかったかのように忙しい日々が戻ってきた。

ライブを振り返って思うところを書きたかったのに、忙しさを言い訳に手がつかず、忙しさとともに自分の中から熱い思いがすり抜けてしまったような気がする。

じゃあなんで今こうして、noteを書いているのか。
それは、妬み恨み辛みが自分の中から溢れ出して抑えきれないからである。

感動から背中を押されるよりも、自分の中の負の感情の方が圧倒的に原動力になることがわかり、そんな自分にがっかりしてしまう。


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「忙殺」


自分でチョイスしておきながら、単語のインパクトに圧倒されている。

先日、明確な目的があるわけでもないのに休日に秋葉原に出かけた。
自分が好きなPC関連のお店や最近ハマっているカメラのお店を見て回ろうと思って出かけたものの、所持金が底をついていることがずっと引っかかって、結局何も買わずに帰ってきてしまった。

普段聴けずに溜まっていたラジオをタイムフリーで聴きながら、自分の中でモヤモヤ考え、当然答えなんて出るわけがなく、スッキリしない時間を無駄に過ごしてしまう。

ちょうど1年半くらい前にも同じようなことをしていたことを思い出した。
当時は週に1回あればいい貴重な休みを、特に何かやる訳でもなく、街に繰り出してひたすら歩いては、思い立って入ったお店で衝動買いをしてはストレスを発散させていた。夏の暑い日に、秋葉原のPCショップに入ってNAS(合わせて7万円ほど)を買った記憶がある。新社会人にしては思い切った買い物だった。


秋葉原を歩いていて気づいたことがある。

仕事に忙殺されて、自分を過大評価している間が一番幸せかもしれない。


前回の投稿でも似たようなことを書いたが、昔から周囲と比較する癖があって、大半は劣等感に苛まされる一方で、自分を過大評価するときもある。

特に今の職場は、少人数で社内的にも前例のないことをやっているため、明確な比較対象がいない分、自分がチャレンジしていったことは都合良く自分の中のフィルターで解釈されて、謎の自己評価へと変わる。

そして、自分と同世代の不甲斐ない姿を見ては自信をつけてきた。しかし、最近それが“自信”ではなく、“苛立ち”に変わってきていることに気づいてしまった。

無期雇用の会社員たる者、普通に決められた時間さえ働いていればそれだけでお給料がもらえる。
これは紛れもない事実だが、自分よりも遥かにその”会社員”としての立ち振る舞いができている同世代を見ると、腹が立ってしまうというよりかは、もっと頑張れよと思ってしまう。

「頑張れよ」というのは、当然本人のためを思っている訳ではなく、頑張っている(つもりの)自分が惨めに思えてくるから、無意識のうちに”会社員”として完璧なその人たちに、怒りをぶつけたくなる。

自分ができて当たり前のことをできていない。
自分の方が責任ある仕事を任されたり、自分から仕事をとってくる動きを見せているのに、その人たちはそれができていない。

キャリア的には先輩だから、自分よりもいい給料をもらっていることは確かなんだよな。

それを考えると、バカバカしくなってしまう。

最近の流行りに乗っかっているのか知らないが、個人をしっかりと評価するために会社として制度を整えているみたいだ。
だが、それが機能するなんて思えず、所詮世間の動向を参考にして新時代的な制度を推し進めている時点で、それは従業員のためではなく会社の見え方のためだと思ってしまう。




「井の中の蛙」


ここまでグダグダと書いてきて思うが、所詮自分は「井の中の蛙」だと思っている。

自他ともに「視野が広い」ように感じてしまうが、それはきっと視野が広いのではなく、視野に入ったもの全てに対して他人よりも感度が高いということではないかと思う。

先に挙げた自分よりもある意味で優秀な”会社員”の話なんか典型的で、別に気にしなくていいのに、自分にとっては深入りして考え込んでしまう対象だが、他人にとっては出来の悪い会社員に過ぎない。


その昔、「転職」や「独立」について考えたことがあった。

電車の車内広告、駅のサイネージ、SNSに流れてくる広告、そして家のポストに投函されているチラシまでもが、転職サイトの広告で埋め尽くされていて、つくづく終わっていると思う今日この頃。

劣悪な環境を脱したいとか、キャリアアップしたいとか、年収年収アップしたいという気持ちも確かにあるが、井の中の蛙であることに非常に危機感を感じ、単純に外の世界を見てみたいという思いから転職を考えてしまう。

社会人3年目、典型的な人間と言ってしまえば自分でも笑えてくるが、至極真っ当な感覚なのだと思った。


そんな井の中の蛙人間のために、留学制度を設けている会社が世の中には存在する。
「社内留学」「別業種の会社に出向」「大学での学び直し」など、社員の自己実現のために制度を整えて後押ししてあげるなんて、なんて素晴らしいことなのだろう。

自分のいる会社には当然そんな制度はない。
理由は簡単で、ただでさえ人手が足りていないのに外に人材を出すなんてあり得ないから。

じゃあなんで人手が足りていないのか。それは人件費に余裕がないから。

じゃあなんで人件費が足りないのか。業績が悪いから。

じゃあなんで業績が悪いのか。
優秀な人材がいなくて諸々の管理や新規の仕事を獲得できないから。


こう考えていくと「公民」の勉強をしているみたいでおもしろい(笑)
むしろこんな生々しい企業の実例をどんどん教科書で取り上げていくべきではないか。

最近、教育系の新規事業立ち上げに関わる身として、そんな呑気な考え方で自分を落ち着かせようとしている。



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「普変」


「JAPAN JAM」という音楽フェスに参加した。
なんだかんだで、毎年夏に行われる「ロックイン・ジャパン」や年末の「カウントダウンジャパン」には参加したことがあったが、春の「JAPAN JAM」には初めて参加した。

カレンダー上は3連休で、その真ん中にフェスに行くスケジュール。
でも、前後の2日は家で溜まっている仕事をこなさなければならない。

仕方なく間でフェスに行く感覚で家を出てしまったことに腹がたつ。


メインステージのトップバッターは ano。
年末のCDJで初めてステージを見て以来2回目。

毎週ラジオでその声を聞いているが、ライブでの一変した様子には毎回驚かされる。

何曲目かに披露された「普変」という曲が個人的に気に入っている。

「人と違うのが普通でズレてるから光るのにその個性を大事に」
とか笑える神かよ

「普遍」/ anoより


ここまで書いてきたこの投稿にまさに当てはまるフレーズではないかと思った。

個性を大切にとか口だけで言っている会社に腹が立ち、自分だけ感覚が鋭くて余計なことに気づいてしまうのではないかと被害者ヅラをする。

でもそんな自分が誰よりもはみ出し者に対して厳しくて、普通を大切にしようとする。



珍しく発生する夜勤に向けて、昼間は休みにも関わらず終わっていない作業のためパソコンに向かう。それが飽きて、こうしてnoteに書き連ねる。


今一番辛いのは、こうして忙殺されていく日々の中に、もっとやるべきことや使うべき時間が埋まっているのではないかと感じてしまうこと。


ひとつ手にしてふたつ手放す
そんな日常の繰り返し
もうどうでも良くなっちゃったな

「YOU&愛 Heaven」/ anoより




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2024.05.02 作成

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