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「6時起き」に大騒ぎして気づいたこと

今日は、とあるシンポジウムでどうしても聞きたい講演があって、ひっさしぶりに!早起きして都心に出かけました。

早起き、と言っても、6時起き。
でも休職してからの私にとっては、お恥ずかしながらとんでもなく早い時間でして、前日夜から大騒ぎ。

無事起きれたものの、実はぜんっぜん寝つけず、結局寝たのは4時でした(苦笑)

その日、日中の変な時間に寝落ちしてしまって眠たくなかったのと、「早起きしなきゃ早起きしなきゃ・・・」と脳内でつぶやいていたせいで、さらに眠れない。困り果てながら、結局4時くらいに寝落ちたと記憶しています。たぶん、羊5千匹くらい数えた。

目的は果たせたので良かったのですが、それより何より、自分の中の「当たり前」の変化に驚きました。

休職する前は、月曜日から金曜日まで、毎朝6時に起きて7時の電車に乗る生活。リモートワークのような制度もなかったので、どうにかこうにかして毎日このルーティンを続けるしかありません。

私の友人はIT関係とか出版社とか外資とか、比較的働き方が柔軟な会社に勤めている人が多く(決して楽という意味ではない)、「定時が10時」だとか「今日は在宅勤務だから」とかそういう話を聞くたびに、毎朝ゆったりと起きれるなんて羨ましい・・・!そんな生活だったらどれだけ心にゆとりができるのだろうか。。。と思っていたのです。

でも今となっては、それと比じゃないくらい自由な生活。なんてったって、そもそも「仕事」っていう概念がないので。

そんな中で、どんどんと自分の中の目線が下がっていくのがわかりました。「目線が下がる」って悪い意味でも使われるかもしれないけれど、これはとっても良い意味で。

数ヶ月前の自分だったら当たり前にこなしていた「6時起き生活」に、今ではこんなに大騒ぎする自分がいて。定時が10時であることやリモートワークができる友人の生活のことを、「いいなぁ」とさぞかし自分が一番大変かのように羨ましがっていた自分を恥じました。いや、それはそれでそれなりの大変さがあるじゃん、と。

もちろん自分の今の生活は自由だけど、それはそれでそれなりに考えることもあるし、孤独感もつきまとうし、手放しで「楽ちーん♪」って思うようなテンションではなくて。むしろ「考える量」や「自分と向き合う時間」でいえば、数ヶ月前の生活よりも増えているような気がする。それを「楽だなぁ」と言われたら、心外だと思うだろうなと思ったのです。(みんな優しいから言われたことないけど☺︎)

自分の中のハードルが下がると、他人へのハードルも下がるんだなぁ、と、とっても当たり前のことに気付かされた感じ。「ハードルが下がる」って、自分に厳しい人にとっては「意識が低くなる」とか「クオリティが下がる」とかいう考えと直結させがちかもしれないけれど、何も悪いことばかりじゃない。

人にはその時々でいろんな状況があって、考えていることも毎日変わって、そもそも得意不得意がみんな違って、出来不出来もある。自分の中のハードルが下がるのはもちろんだけど、自分を許すことで、とても簡単に他人を許したり認めたりすることができるようになる気がする。

人の生活は、人それぞれ。それを身をもって理解できただけでも、休職した価値があったなぁって思う。今なら「10時定時」を単純に羨ましがっていた自分を「どんだけ偉そうやねん」とツッコむことができる気がする。後頭部からバシッとね!笑

みんな、生活してるだけで偉い。今ならそう思うなぁ。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。