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普通は、逆?

毎日noteを書くようになって、5か月くらい。早いなぁ。

頭の中の整理が出来るようになったとか、日課が出来て日々が充実したとか、たくさんの良かったことがあるけれど、私の中で意外だったのは、本を読むことが好きになったことだ。

もちろん、嫌いだったわけではない。幼稚園とか小学生とか、幼い頃は放っておかれたら本屋に4時間とか居座れる子だったし(手がかからなかった、と親は言う)、そのとき発売されていた「かいけつゾロリ」はたぶん全巻読んだ。

けれど、思春期になってからは、あまり本はすぐ隣にある存在ではなくなってしまった。煩悩や現実世界の悩みが勝ってしまって、たいした内容が頭に入ってこない。最初の数ページを読んだだけで、もういいや、となってしまう。そんなことを繰り返しているうちに、本を買わなくなってしまった。

尊敬する大人たちは皆、口を開けば「本をたくさん読みなさい」と言った。休職が決まったときも、「やれることがないなら、本を読むといい。とても贅沢な時間になるぞ」と言われた。

もやもやと「本なぁ・・・」と思いながらしばらくの時を過ごした。ここ1,2ヶ月くらい、本が段々と身近なものになっていった。文章を書くようになると、自分の思考の在処がなんとなくわかるようになる。そして、吐き出している分、頭の中にちょっとした隙間ができる。もちろん言語化できない悩みや感情はたくさんあるけれど、それでも、以前と比べたら煩悩はかなり減ったものだ。その分、ネットやテレビとは違う、選りすぐりの言葉たちが並んでいる本は、魅力的に映るようになった。勉強にもなる。著者の方々の圧倒的な筆力に、生意気ながらときどき凹んだりもする。それでも、読みたくなる。栄養補給みたいな感じだ。

日中に睡魔に負けて寝てしまうと、夜眠りにつけなくなる日がある。そんなときも、最近は、本の出番だ。枕元に、2冊の小説。ひとつは、息をひそめながら読みたくなるようなエキセントリックなもの。ひとつは、心理描写を丁寧に描いた、あたたかく人間らしいもの。その日の気分で、どちらかを手に取り、静まり返った部屋で一人、ページをめくる。1章くらいを読み終わると、自然と瞼が重くなってゆく。その静けさと、小説の世界に引き込まれる時間が、たまらなく好きになった。夜眠れないことが、嫌な時間ではなくなった。もちろん、すぐに眠れるに越したことはないのだけれど。「寝よう寝よう」と思うとしんどくなるけれど、諦めて本を取り出すと、いつの間にか神経が静まって眠くなるのだ。

人の書くものを読むのは、面白い。そういう意味では、noteは最高の場所。皆さんが思い思いに書いた作品が、タイムラインにずらっと並ぶ。ちょっとした隙間時間や、人を待つ時間なんかにも読める、短編ものがたくさん。くすっと笑ったり、少し心配になったり、うんうんわかる~と思ったり。そんなことをしているとあっという間に時間が過ぎる。

書くことだけじゃなくて、読むことも面白い。普通は順番が逆なのかもしれない。けれど、私は私なりの楽しみ方で、文章に触れられている気がする。

Sae

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「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。