見出し画像

幸せに使いこなすか否かは、人間次第や...

「うわ〜今、心の余裕ないわ〜」

って思うことあると思うんですけど、心の余裕がないことに「気づく」瞬間って、どんなときですか?

私はそんなに怒り狂うような性格ではないので、どちらかというと、イラッとすることがあったらその場から爽やかに消えていなくなったり、諦めたりするのですが、最近「あっ、これは、心の余裕がない兆候か・・・?」と思うタイミングを発見しました。


食洗機で洗えない食器を、使われたとき。


ちっさ。ちっさすぎる。

でも、こんなちっさいことで、自分の心の余裕があるかどうかがわかるんです。

ちょっと金ピカな飾りがついていたり、焼き物だったり、食洗機にぶち込めない食器ってあるじゃないですか。あれを使う=食洗機とは別に手で洗わないといけないわけなんですけど。

ぶっちゃけ「それじゃなくても良くない??????」って思っちゃうときありますね。いや、同じようなサイズで、食洗機で洗えるお皿あるじゃん、みたいな。

でも、その「食洗機で洗えない食器」って、やっぱり可愛いし、ご飯も美味しく見えたりするんですよ。

その時間や手間をかけてでも、「食事をする」という時間のときめきや楽しさを大事にできるかどうか。それが、食洗機という存在でわかってしまうわけです。

少し前に何かの本で、こんなに文明が発達したにも関わらず、家事に費やされる時間は減っていない、と知りました。昔は、お茶碗についたご飯粒を綺麗にすべく、お茶碗にお茶を注いで飲んで、そのまま布で拭いて食器棚にしまっていた、と。

そりゃあ、食洗機に入れる前にシンクで米粒を流して食洗機に入れて、洗剤を入れてスイッチを押し、終わったらそれを食器棚に戻して、食洗機用の洗剤がなくなったら買い足して・・・とかやってたら、食洗機があるのに家事の時間増えてる・・!ってなりますよね。

食洗機がなければ、「食器は常にピッカピカであるべき」っていう概念、なかったのかもしれないなぁ。
ルンバがなければ、「髪の毛一本落ちてる床は、汚い」っていう概念、なかったのかもしれないなぁ。

あぁ、技術の発達って、なんなんでしょう。切ない。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。