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「ブス」いじりは、許さない。

昨日は、大好きな安室ちゃんが芸能界を引退して1年の日だった。

Twitterをひらけば、「安室ちゃん」がトレンド入りしていたり、沖縄では安室ちゃんの曲を使ったHANABI SHOWが今年も行われていたり、やっぱり安室ちゃんって多くの人に愛されていて、忘れられない人なんだぁ、と誠に勝手ながらさらに誇らしくなったりした。この人を好きになってよかった、と。(去年は私がnoteを始めていなかったので書く機会がなかったのだけれど、私は安室ちゃんが大好きである)

少し前、安室ちゃんの引退から1年を記念して、AbemaTVで安室ちゃんの特番が行われることを知った。

わぁ嬉しい、沖縄のイベントには参加できなかったけれど、安室ちゃんの引退1周年を安室ちゃんのコンテンツとともに過ごすことができる、と喜んだ。

でも、昨日私はこれを観なかった。理由は、AbemaTVを大嫌いになってしまったから。

このTweetがTLに流れてきて、AbemaTVに「ブステレビ」だなんてこんな下品で酷い番組があるだなんて初めて知って、その企画内容に驚愕し、嫌悪感しか覚えず、そんなネットテレビ局の番組は観たくない、と、0コンマ2秒くらいでAbemaTVを嫌いになった。

そして、そんな安室ちゃんの特番を見ることで広告料が上がったりAbemaTVの番組制作費が多くなったりすると思ったら嫌だったので、安室ちゃんの特番を見るのもやめた。そして何よりも、安室ちゃんの顔に泥を塗るような行為だと思って、腹が立った。安室ちゃんの特番組むくらいだったら、それに恥ずかしくないテレビ局であってくれよ、と。まぁこれは私のただの個人的な感情だけど。

このnoteは平和に書くことを決めているしあまり特定の人や組織とかを批判するのは好きじゃないのだけれど、「ブステレビ」なんて番組名、よく考えついたな、と、そんな番組作っている人の顔も見たくない、と、強く嫌悪感を抱いたのも事実だし、どれだけ面白さを追求したかろうともこんな感覚はあってはならないよね?だよね????と、より多くの人に感じて欲しかった。共通認識にしたかった。だから、書いている。

そう、あってはならないの。

褒めるのはわかる。「美しい」の概念は人それぞれで、それでよくて、人が人のことを「美しい」と感じた時に、その美しさに惚れ惚れしたり、魅力を感じたりするのは至極普通だし、あっていいと思う。親が自分の子を美しくてたまらない、と思う時もあるだろうし、例えば私は安室ちゃんを、とても美しい人だと思う。

でも、「○○さんは安室ちゃんより美しくない」なんて、思い浮かんだことすらない。美しいということは、それだけで美しいのであって、比べるようなものじゃない。だからあなたはとても美しいし、わたしだって美しい。それでいい。

「ブス」なんてひと、いないのよ。なのに、他人の顔面が「ブス」か否かを誰かの一方的な判断軸でジャッジし、それをネタにして番組を作るなんて、そんな価値観、私には恥ずかしくて見ていられない。一刻も早く、そんな価値観もコンテンツもこの世から無くなってしまえ、と思っている。子どもがこの番組を見て笑っていようものなら、張り倒すと思う。子どもいないけど。

こういう「いじり」みたいなものって本当に心を蝕むもので。

こいつには何言っても許される、みたいな前提で人を下に見るようないじりって、日常生活でもたくさんあるけど、その場では笑ってごまかしていても、全部心の奥底に沈殿していくもの。その沈殿が憎悪の塊になって暴れ出さないうちに、そんな人とは、一秒も早く離れた方がいい。

人を蔑むようなもので笑いを取るんじゃなくて、平和でハートフルで良い感情をシェアしたい。知性のある笑いって、あると思う。もっともっと、こういうことに対する感覚を、アップデートしていきたい。私は。アップデートしていきたいよ、みんなで。

ちなみに、AbemaTVほどではなかったけれど、フリクションボールペンのこのCMも、ずっと気になっていたの。「おやじ」と呼ばれる人たち、これ、不快じゃないですか・・・?「おやじ」いじり、これでいいの・・・?

多くの人の目に触れる(しかも、勝手に入ってきてしまう)テレビや広告なんかは、特に倫理観が問われるはず。もっともっと、アップデートして欲しい。

視聴者の立場としては、常に疑問符を持ちながら自分の感覚を見直さなきゃって、いつも思う。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。