見出し画像

先生、タイトルのつけ方がわかりません

noteのタイトルをつけるのって、すごく難しい。楽しいけど、難しい。

以前、ジャーナリストの中野円佳さんのツイートで、こんなものを拝見した。

私は作家でも書評をする人でもないのだけど、noteでこうして文章を書いているだけでも、「それを一言で説明して」と言われるのはとても難しいなぁと感じる。文章の一文一文、言葉の一文字一文字にまでこだわって書くからこそ、「一言で」なんて、無理〜!ってなるのも、わかる。私にとってはその一番身近なものが、noteのタイトルだ。

本はまだしも、ネットの記事のタイトルって、とにかくわかりやすいこと(この記事を読んだら、読者にとってどんなメリットがあるの?何を書いてあるの?)と、ある程度具体的であること(「わかりやすい」と近い)と、少し扇情的なエッセンスが含まれていることが求められているなぁと感じる。

そうなっているということは、その方が「読まれる=PV数が多い」ということなんだろうけれど、それだけじゃ伝えたい人にきちんと伝わらないリスクやもったいなさもあるような気もしている。しかも、下品で短絡的で、読み手の想像力を殺してしまいがち。

文章の良さって、「含み」があることだなぁと思う。読み手によって、捉え方が様々であることや、解釈の仕方を読み手に託す部分があることや、考えるきっかけになることなど。

読んでほしい、という気持ちと、どう噛み砕くかはあなたに任せたい、という気持ちを両立させたいなぁ、という気持ちでいつもタイトルを書いていて。読んでほしいという気持ちがあって書いている限りは、「読んでもらいやすい」タイトルを模索するのは、当然のこと。なぜなら、そうでないと読んでもらえないから。でも、今は本当に訓練の途中、という感じで、上手くいくことはそんなに多くない。

私にとっては本当にたくさんの人に読んでいただけたnote記事『TOEIC915点をとって私が得たものは、点数じゃなかった』というタイトルは、私の中で色々と模索してつけたタイトルだった。いつもそうだけれど、でもこれは特別に「読んでもらいたい」と思うメッセージを詰め込んだものだったから、特に考えた。

「TOEIC」とか「915」とかそういう具体的な単語や数字をつけた方が興味を引くのかな、とか、「点数以外に、何を得られるの?」ということの答えを記していないこととか。私の中で、いわゆる「読まれやすそう」な要素を加えながらも、できるだけ品性を持った扇情的でない言葉で・・・と考え、このタイトルをつけた。

結果として想像より多くの方に読んでもらえて、何となくわかったのは、どっちもぬかっちゃダメだなっていうこと。読んでもらいたいという気持ちも、表現する者として保ちたい「美学」のようなものも。このnoteではお金を頂いたり広告を載せたりしているわけではないから、PV数なんて本来は気にしなくていい。ただ、「読んでほしい」と思うメッセージを込めている記事については、話は別。読んでもらわないと、たどり着かない。そのためのタイトルづくりは必要。

でも、それだけだったら、私の嫌いなタイプのネット記事を一個爆誕させてしまうだけになってしまう。読者を煽り、想いや意思を込めず、PV数だけを稼ぎたいようなネット記事を。それが嫌だから、私はきっとずっと、この「タイトルづくり」に悩み続けるんだろうと思う。自分なりに捨てたくないものは、捨てないように。言葉は、伝えたいことのために、丁寧に使う。

今、めちゃくちゃ色んな記事がネット上に氾濫している。「伝える」ということと、自分の中で譲れないセンスみたいなもののバランスを鍛えるのは、これからを考えてめちゃくちゃ大切だと思っている。自分なりの美学を、この場を借りて、筋トレのように日々鍛えていきたいな。(と、思いながら、この記事のタイトルに困る私。笑)

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。