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「羨ましい」の向こう側

中野円佳さんの新刊「なぜ共働きも専業もしんどいのか」を読んだ。
既婚vs未婚、子持ちvs子無し、正社員vs非正規、共働きvs専業主婦、男性vs女性、管理職vs平社員、、、いろんなカテゴリーがあれど、どの人もしんどい部分がある、というのは変わらない事実。

最近、誰かが何か声をあげるたびに、無意味な対立構造が生まれやすいような気がしていて、それって本当に無意味だからやめた方がいいと思ったりする。声をあげるのをやめるんじゃなくて、対立することや、不幸自慢をすること、批判だけをすることを、やめた方がいいと思っている。

しんどかったり大変な思いをしているんなら、叩き合うより、互いに心地よいところを探りたい。お互いに、日々の努力を、称えあいたい。励ましたい。土足で踏み込むより、程よい距離感を保っていたい。みんなで、幸せになりたい。

「嫉妬心」や「羨ましい」と思う気持ちは、ときには燃料になったりして使えるものだと思うけれど、そうやって自力で活用できないものについては、捨ててしまった方がいい。なぜなら、「羨ましい」と思っているような相手にも、それ相応の悩みやしんどさがあるから。羨ましい、と思うこと自体が、相手への想像力を欠いているからこそ起きることだったりもする。

結婚していたら、幸せなのか?旦那の稼ぎが多かったら、幸せなのか?美人な奥さんがいたら、子どもがいたら、幸せなのか?正社員で働けるのなら、それだけで幸せに思った方がいいのか?

実際蓋をあけたら、みんなそれぞれがそれぞれの立場で思い悩み、苦しんでいる部分がある。それは、当事者にしかわからないものだ。イケメンで優しそうな夫がモラハラだったり、旦那の稼ぎの方が良いからという理由で自分のしたいことを諦めざるを得なかったり、正社員という立場にしがみついた結果自分の気持ちを殺してしまったり。子どもは欲しかったけど、いざ出来たら自分が子育てに向いていないことに気付いて、気に病んでしまったり。でも、「子どもが可愛くないんだけど」なんて言えない。そんなことが、キラキラとしたSNSの裏側で毎日のように起きているのだ。普通に。

「幸せなふりをする」というのも、それなりに自分を消耗させていく。しんどいときは、どんなに他人に「幸せものだね、あなたは」と言われても、しんどいのだ。そういうのは、他人と比べても意味がない。自分の心が、幸せだと感じるかどうか、が全て。

そうやって想像力を働かせて、人の痛みに気付ける人になりたいし、何よりも自分の幸せを大切に出来る人になりたいなぁと思う。

早く梅雨が明けますよーにっ。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。