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「毎日起きていること」も、私は知りたい

マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツ氏のNetflixドキュメンタリー番組「天才の頭の中<ビル・ゲイツを解読する>」が面白い。

ビル・ゲイツ氏の幼少期の話からマイクロソフト創業後、現在までを、家族を含め様々な関係者が語っていて、天才と呼ばれ億万長者である「ビル・ゲイツ」という人間を描いているのはもちろん面白いのだけど、巨額の富で作った財団で取り組んでいることが更に面白い。

下水処理が整備されていない(容易には整備できない)発展途上国において、どうしたら感染症を防げるのか、とか、一見マイクロソフトやIT業界には遠いように感じる事業に取り組んでいる。

一つを深く極めるということは、幅広いことを知ること・理解することと繋がっているのかもしれないなぁと思った。取り組むべきことになる人が、そういう能力を携えているという見方もあるのかもしれないけれど。博学な人は、たいていのことについて博学だったりするなぁと思う。

ビル・ゲイツ氏の取り組みはぜひ番組で観ていただきたいなぁと思いながら(3話だけだからすぐ観られる!)、番組内で、とあるアメリカのジャーナリストが言ったことが頭に引っかかった。

ニュースとは、「今日起きたこと」。
「毎日起きていること」は、ニュースではない。
(ビル・ゲイツ氏が取り組んでいるような)「世界健康」では、視聴率は取れない。

こんなようなニュアンスだった。

そうかぁ、「毎日起きていること」はニュースにならないのか、と思った。えー、と思いながらも、納得感もあった。

日本では殺人事件があったら大きく報道されるけれど、それは日本では殺人事件が少ないからなのかもしれない。毎日のように殺人が行われている治安の悪い国では、一つの殺人が大きく取り上げられることはないのかもしれない。

逆に言えば、自殺はどうなんだろう。痴漢はどうなんだろう。いじめ(=暴力、傷害事件)はどうなんだろう。全部、毎日のようにどこかで起こっている気がするけれど、毎度毎度大きく報道されるようなことはない。

報道することが即ち良いことだ、とは思わない。けれど、報道されたことばかりで人の頭の中は占拠されがちだ、とは思う。恣意的に選ばれた「今日の出来事」で、毎日の頭の中が占拠されてしまうのは、なんだか怖いような感覚がある。それ以外の「出来事」が何も存在していないような感覚で、生きているような。

「今日の出来事」が毎日アップデートされていき、その時々で議論が活発になることは必要なことだと思うけれど、それだけだとなんだか虚しさを感じる。Twitterをみていて抱く感覚は、「虚しさ」なんだと思った。

その日その時話題に上がっているニュースがたくさんリツイートされ、トレンドになる。トレンドワードをざっと見れば、何が起きているのかだいたいわかってしまう。世の中はみんな、そのことばかりに目がいっているのだ、と思ってしまう。

じゃあ、ニュースにならないような「毎日起きていること」は、どこで仕入れるのだろうか。毎日、世界のどこかで起きていること。

本?雑誌?特集番組?ニュースを定点観測する?
それとも私の知らないところで、そういうことが知れる媒体があるのだろうか?教育現場でしか、知ることができないとか?

もしあるのならば、「毎日起きていること」も、「今日起きたこと」と同じくらい、知っていたいなと思う。「今日起きたこと」は、「毎日起きていること」がベースになっているような気がしてならない。

電通の過労自殺の件があってから、企業は長時間労働や過労にやっと少し敏感になったけれど、それはあのような事件が明るみに出たから、だけだと思う。労働者の過労死なんて、これまでいくらだってあったはずだ。私も、身近で知っている。きっと、身の回りでそういうことを耳にしたことのある人は山のようにいると思う。あまりにも残酷な話なのに、あまりにも馴染みがあった。

毎日のように起きていた「過労死」や「過労自殺」が、何かのきっかけで明るみに出ただけで「ニュース」になった。やっと、なった。「ニュース」になって注目されないと、叩かれないと、誰も解決しようとはしなかったっていうことだ。

だったら、「毎日起きていること」をもっと詳らかにすべきなんじゃないかなぁと思う。誰だって、知っておいていいことだと思う。

メディアで働いたこともないしわからないけれど、「毎日起きていること」を丁寧に掘り下げて知として蓄積する場所もあったら良いなと思う。出来るだけ、誰しもがアクセスできる状態で。

専門家や研究者だけが知っていることがたくさんあるだろうから、それを一般の人が簡単に知ることができれば、より「今日の出来事」を自分の頭で考えて咀嚼できるし、恣意的な報道に流されることもなくなるような気がする。そういうプラットフォーム?メディア?があれば、視聴率よりも広告収入よりも、社会還元を通じてずっと多くの価値を生み出すことができるのでは、と思う。

きっと、その「毎日起きていること」を恣意的な要素を排除して伝える、ということも難しいんだろうなぁ。研究者しか知り得ない事象を誰しもがわかるように伝える、というのも難しいんだろうなぁ。

その難しさも含めて、せっかく世界の垣根なく情報を入手・発信できる世の中になったからこそ、超えたいハードルだな、と思う。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。