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いじめの「加害者」は、放置していいのか

noteさんが少し前に始めたお題テーマ「#8月31日の夜に」。

このお題テーマに関してはいじめだけを対象としているわけではないと思うけれど、小学生の頃いじめられて不登校になり転校までした経験を持つ者として、ちゃんと書こうかなぁという思いももちろんあった。

ただ、だいぶ前だけれど一度書いたことがあるというのと(よろしければ下記リンクから読んでみてください)、私も30歳という年齢になり、「10代の延長線」というよりだんだんと「大人サイド」になってきたなぁという意識もあり、いじめの問題に対する考え方も、少し多面的になってきたような感覚がある。

いじめに関する胸の痛むニュースは連日あるけれど、それと同じくらい、こうしてEテレで番組が特集が組まれたり、ネット上で「逃げてもいいんだよ」という声が広がったり、新聞で記事が掲載されたり・・・「いじめられて苦しんでいる人」に対して寄り添う声が多く聞こえるようになったなぁという印象がある。

「こんなに辛い思いをしているのなんて自分だけだ」と思いながら迎える8月31日と、同じような境遇の人がいる、話を聞いてもらえるかもしれない、と思う(可能性がある)8月31日は、結構違う一日になると思う。

「逃げてもいい」「世界はもっと広い」というようなことは、たっくさんの人が言っているし、私も書いてきたし、それはきっと多くの人が伝えてくれるから、あえてお題の趣旨からはズレるけれど考えてしまうことがあるとすれば。

それは、「いじめている子ども達」のことだと思う。

そもそも、「いじめ」っていう言葉にすらもはや違和感を感じてきた最近。いじめって言ってもいろんな種類があると思うけれど、率直に思うことがあるとすれば、たとえ筆箱一個だろうと物を盗めば窃盗だし、暴力を振るえば暴行罪、傷害罪なんかになる。もしいじめが原因で自殺した子どもがいたとしたら、それは殺人罪になるかもしれない。(過去の判例までは知らないし実際にはならないケースが多いとは思うけれど、社会的に、「お前が殺したのと同義だ」という制裁を受けてもおかしくない話ではある)

要は、「いじめ」っていう三文字で「子どもたちがやることだ」「子どもの世界の問題だ」と片付けてしまってないか?ということがとても気になる。一体小学生が、中学生が、高校生が、どれくらい悪いことをしているのか、ということを具体的に浮き彫りにして処分をしている学校や親や世間が、どれくらいあるのか、ということ。被害者ばかりに着目していないか、ということ。

1対1で言い合いをしたり、ぶつかり合ったり仲悪くなったり口もきかなくなるのは、ただの喧嘩。そんなのはいくらでもやればいいと思うけれど、集団になり、弱者を作り上げ、その弱者に対して抵抗できないほどの精神的・肉体的・物質的暴力を与えるというのは、れっきとした犯罪になりうることで、「人間関係」の問題では済まない。

人を殺すことはいけないことだ、というのはわかっているのに、どうして学校内で弱者を作り上げ、体操服を盗んだり殴ったりすることはいけないことだ、ということがわからないのだろうか。

きっとそこには、心理的な課題があるのだろうし、そもそも加害者である子ども自身が様々な問題を抱えているケースもたっくさんあるはず。それも含めて、加害者である「いじめっこ」のしたことや、そうなった原因をしっかりと向き合わせて欲しいな、と思う。それをしないで被害者の救済だけをしても、きっとまた同じことが起きる。加害者の倫理観は決して養われることなく、歳をとっていくだけ。

加害者である「いじめっこ」は、大概、調子に乗っている。何をしても許されるだろう、という調子に。

私がいじめられて転校するその日、誰も助けてくれなかったくせに、一丁前にクラス全員でアルバムを作って渡してきた。先生が「作りなさい」と言ったのだろうということはすぐに推測できた。一人一人からのメッセージが手書きで書かれた、アルバム。私のことをいじめてきた中心人物である女の子からのメッセージは、「また電話しようねー!☆私の電話番号はこれ↓だヨ!!」だった。電話なんて一度もしたことない。これが、いじめにおいて何の教育も処分も施さなかったことのわかりやすい結果だと思った。

年齢が幼いのだから、人間的にも幼い。それはわかる。でも、じゃあ放置していいのか?と言ったら違う。もちろん更生や社会的復帰などが守られた範囲で良いかもしれないけれど、加害者に対してどう向き合うか、ということは、被害者をどう守るか、と同じくらい、重要な問題だと思う。被害者に「逃げてもいいんだよ」と言って守ることはもちろんとても重要でそれは続けていくべきことだけれど、それだけじゃきっと足りない。それが、大人になってから感じること。根本解決から逃げちゃいけない。その学校だけでも、そのクラスだけでも、その加害者一人だけでもいいから更生させ、本気でいじめをなくそうと思わなきゃいけない。

「いじめ」というふんわりとした三文字で片付けてはいけないと思う。それで命を落とす子どもや、長きにわたって心に傷を負う子どもが、たくさんいるのだから。あえて、成人と同じように。大人が簡単に看過してはいけない、許してはいけない、と改めて思う。

あたたかい気持ちになることを求めてこの記事にたどり着いた10代の方がいたら、申し訳ないです。でも、大人も捨てたもんじゃないと思ってもらえたら少し嬉しいです。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。