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元気な人のためだけに、出来ている

ふと、今日地下鉄に乗っていて思ったこと。
そして、自分が病気になってから、ずっと思っていたけれど、言葉にできなかったこと。

ここ、東京の地下鉄は、元気な人のためだけに、できている。

階段が、多すぎる。
エスカレーターやエレベーターが、少なすぎる。
もう少し厳密にいえば、エスカレーターやエレベーターの案内が、少ない。丁寧ではない。

これは、自分がパニック障害になって、どんどんと体力が失われていくと同時に、感じ始めたこと。東京でずっと育ってきて、それまで、東京の地下鉄が不便だなんて一度も感じたことはなかった。きっと、いわゆる「マイノリティ」になって、初めて気づいたことだった。

パニック障害になると、別に足腰が不自由になるわけではない。歩けなくなるわけでもない。階段の上り下りができなくなるわけでもない。ただ、私の場合、体力は落ちていった。これには、からくりというか、ある悪循環があって。
様々な要因で、動悸や息切れ、過呼吸のような発作が起きてしまう病気だから、とにかく「発作が起きる」ということが、怖い。となると、どうにかして、発作が起きない方法を考えるようになる。少し息切れがすると、脳が勘違いをして、発作を誘発する。だから、出来るだけ階段を上ったり、走ったりしたくない。だから、エレベーターやエスカレーターを優先して使うようになる。発作が起きるかも、という予感がすると、電車内で起こしたくないから、タクシーに乗る。ちょっとした距離でも、タクシーに乗って発作が起きないのであれば、その方が良い、と思うようになる。こうして、徐々に歩く距離も減り、階段の上り下りもしなくなり、そして発作のたびに体力は失われ、どんどんと、体力そのものが衰えていく。

病気に向き合おうと思って病気のことを本で読んだりいろいろと調べたときに、体力の衰えっていうのは、やっぱり書いてあった。私はたまたまそこまでいかなかったけれど、体力の衰えとかで家から出ることすらもおっくうになってしまうこともあるらしい。

今でこそ、普通に外にも出てたくさん歩いて電車に乗って、というのも出来るようになったけれど、私も最も症状がひどかったときは、10分散歩することすらもおっくうだった。それくらいまでには、体力は、落ちていた。
(ちなみに休職して、少しずつ散歩の距離を伸ばして、少しずつ坂道にトライして、っていう本当に地道なところからスタートして、体力は徐々に回復していった。最初は本当にしんどくて涙目になりながら歩いていたけど、今となっては、たくさん散歩して身体を動かすのが気持ちいいくらいに回復したよ!)

そうやって、まさに体力が落ちている人間、そして、身体に余計な負担をかけたくない人間にとって、東京の地下鉄は、あまりに過酷すぎる。

今日行った駅で感じたこと。(体力が最大限衰えていたときの自分や、自由に動きにくいだろうと思われる人のことを自分なりに想像しながら、感じたこと。鉄道会社にとってはお金がかかるから無理なのだろう、という考えは、議論をストップさせてしまうのでいったん度外視しています)

・地下から地上にあがるとき、途中まで階段で、途中からエスカレーターがあったけど、どうして全部エスカレーターじゃないのか?全部をエスカレータにしなければ、助からないひとがたくさんいる。(その距離の階段を上る体力のない人、足が不自由な人、ベビーカーを抱えているひと、、、)この場合のエスカレーターは、「できるだけ疲れないようにする」ための配慮にしか見えない。

・エスカレーター、上りはあっても、下りがあるケースが少ないのはなぜか?足が不自由な人や、ご老人にとっては、下りの方がしんどいこともあるはず。そして、エスカレーターしか利用できない状況の人がいたとき、いったん上ってしまって、再度下りたいと思ったときに、下る方法がなくなってしまう。まるで、はしごを外された気分になってしまう。出口を間違えてしまったとか、いったん上ったはいいものの、その先にバリアフリーの完備された出口までの通路が見つからなかった場合とか、戻らないといけなくなってしまうケースは多いはず。

・仮にバリアフリーが完備されていなかったとしても、このさき地上に出るには階段が何段あって、エスカレーターがどれだけあって、ということを、一歩進む前にわかるように掲示を貼る・目立たせるべき。始めにエスカレーターがあっても、上ってみたら階段しかない、みたいなケースもある。本当に、はしごを外された気持ちになって焦ると思う。

もちろん、鉄道会社のHPをみたら構内図が載っているのも知っているし、どこの車両にのればエスカレーターやエレベータに近いかがわかる表がホームに貼ってあるのも、知っている。それを駆使すればいいんじゃないの?という言い分もわかる。でも、ただでさえ弱っている人に、それを全て駆使して何とかゲームクリアしろ、というのは、あまりに酷だと思う。根性や気持ちでは超えられない壁と、「元気な人に合わせてしか作られていない」「この街で、不自由なく暮らすのは無理だ、と言われている」と感じてしまう作り・仕組みに対する疎外感・寂しさ・虚しさは、計り知れない。

色々な事情や難しさがあるのだろうけれど、もう何年やっているのだろう・・・と思ってしまう地下鉄の工事、そしてそれに伴ってどんどんと使い勝手が悪くなる駅のホーム、地下道、階段、一時閉鎖される出口やトイレ、、、、それらを見ていると、なんだか「ひとつの無理をしたら、それによるシワ寄せがどんどんと増えてきて、身動きがとれない状況になっている」ような、社会の縮図みたいなものを感じて、切なくなる。

便利になったら、誰もが幸せになるんじゃなかったのかなぁ。と、寂しくなったりもする。

私の想像力にもきっと至らない部分が多いから、ここに書いたことより、もっとずっと困っている人もたくさんいるのだろう。妊婦さんや子育てをしている人も、大変だろうと思う。

私は、元から体力がある方ではなかったし、まだまだ「元に戻った」くらいのレベルだから、せっかくのこの機会に、更なる体力アップに向けて身体動かしていこうと思っているよ~。
でも、こうして感じた不自由はきっとずっと、忘れられない。忘れたくもない。から、もっともっと共感が集まって、苦労している人もそうでない人も、一緒に考えられたらいいな、と、思う。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。