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自分に優しくする工夫

最恐ばあちゃん(88)が、離陸していった。生活に平穏が訪れます。ありがとうございます。なぜだかわからないけれど、誰かに感謝したい気持ちになりました。また夏ごろに上陸するそうです。なんだかスパンが短いような気がしますが、しばらくは忘れることとします。

さて、そんなことを考えて空を見上げても、驚くほど淀んだ色。「・・天気、わるいなぁー・・・」というテンション低めの感想しか思い浮かばない。天気予報をみると、どうやら向こう1週間くらいはずっと雨みたい。どんより。はぁ。でもまぁ、時は過ぎていく。このお天気にもだんだんと、慣れていくしかない。

・・・と、昔から、自分で「調節する」という知恵をあまり持たずに生きてきたような気がする。生活において、知恵を活かすことや工夫することが、下手っぴだった。きっと、野生の世界に放り込まれたら、瞬殺だと思う。

幼いころ、炊飯器の蓋からもくもくと出る水蒸気に興味がわいて、その上に手のひらを乗せ、「あつい、あつい」と言い続けたことがあったらしい。手を離せばいいのに、ずっと乗せたまま、「あつい、あつい」と言うのだ。「手を離せば熱くない」ということを、あまり理解していなかったらしい。

自分のことを昔から「寒いのが苦手だ」と自称してきた。けれど、この間の冬、休職して母と過ごす時間が長かったためか、自分がいかに「寒く感じないための工夫」をしてこなかったか、ということに気が付いた。寒いのなら薄いストッキングを履いてないで、厚手のタイツを履くこと。アウター1枚で足りないのなら、中にもう一枚着込むこと。ショートブーツで寒いなら、履きやすいロングブーツを買いなさい。首元の空いた服は着ないこと、着るならコートのボタンを上まで留めて、厚手のマフラーを巻くこと。

書きながら恥ずかしくなるくらい、全て当たり前のことなのだけれど、そういう工夫をすることなく「寒い、寒い」とずっと言っていたのだ。どんなに工夫しようが、「自分が寒がりである」ということは変わらない事実だと思い込んでいた。実際は、ちゃんと工夫したら、あまり寒く感じなくなった。10数年越しの茶番。

最近、エアコンを新調した。10年以上使って、完全に温度調節ができなくなってしまっていたので、新しいものにしたのだ。気持ちいいくらいに涼しい風を送り込んでくれるエアコンになったのだけれど、なかなかに風のあたりが強い。ベッドに寝ころんでいると、ダイレクトに顔にあたる。ここでもまた、才能を発揮。放置した。

すると、たまたま部屋にやってきた母「なんでこれ、風の向き調整しないの?」。いや、ほんと、おっしゃる通りです。ぴぴっと、エアコンで調整。はぁ。なんだか生活においてのこだわりが少なくて「これでいいや」と思いすぎてしまう。

本当は、「自分が心地よい空間」「気持ちいいと思えること」「自分にとっての”ちょうどいい”」を、もっとちゃんと、追求したほうがいい。そしてそのための工夫を、ちゃんと自分で考えて、取り組んだ方がいい。生きるってたぶん、そういうことだ。

梅雨のどんよりした季節でも、自分なりに心地よく過ごせるように。もうちょっと、ちゃんと模索してみよう。自分にとって、優しい工夫を考えてみよう。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。