見出し画像

「会社員」って便利だな

「会社員」という言葉はとても便利だな、と思う。

美容院、洋服店、マッサージ店、コンタクトレンズ屋さん、飲食店。。。
日常で、見知らぬ人との会話が必要なところって、結構たくさんある。

パニック障害で休職してから、日中に私服でふらっと出かけることが多くなったけれど、「平日」の「昼間」に「私服」で街に繰り出す「元気そうな」私に、みんな無邪気に話しかけてくる。そのたびに私は、小さな嘘を重ねる。

お洋服やさんで声をかけてきた店員さんとの会話。

「今日はお仕事お休みなんですかー?」
「あ、そうです」(お休みなことには、間違いはない)
「お仕事何されてるんですかー?」
「普通に、会社員です」(休んでるけど会社に籍はあるから、嘘ではない)
「普段も平日休みなんですかー?」
「いや、今日は、有給使ったりとか、ですかね。割と自由なので…」(あー、めんどくさい)

ここで、面倒になってきた私は、すっと話を切り返す。
「平日だと、街も混んでなくて、買い物するの楽なんですよね。土日は、どうしても人混みがメンドクサクなっちゃいます。お姉さんも、アパレルだと平日休みですもんねー?」
お姉さんのターン、にもっていく。だいたい向こうのターンに持っていったら、こちらには早々返ってこない。あとは、うまく相槌を打って、軽やかに去るだけ。

以前仕事帰りによく通っていて、休職して以来久しぶりに行ったマッサージ店の施術師さんとの会話。

「めちゃくちゃお久しぶりですね!!心配してたんですよ~!」
「そうですよね~。すいません、全然来れてなくて」(それどころじゃなかったんです)
「いえいえ~。あれ、今日はお仕事お休みですか?」
「いや、実は今、休職してて。」(これは本当)
「え!?どうされたんですか?」
「ちょっと働きすぎで、ストレスでぶっ倒れちゃったんですよね~へへ」(これは、本当と嘘のミックス。本当はぶっ倒れただけじゃなくて、病気。)
「えっ、大丈夫ですか??●●さん、ほんと働かれてましたもんね・・・」
「今は、休ませてくれーって会社に言って、しばらく休ませてもらってます」(休ませてもらっていることには変わらないけど、実態は、病欠)
「そうなんですね。じゃあせっかくだし、ゆっくりしてくださいね!」

初対面の人には「会社員です」と言うと、だいたいみんな安心する。それ以上のことには、深く突っ込んでこない。魔法の言葉。きっと「会社員」っていう言葉は、人を安心させて、警戒心を解く力を持ってる。まるで社会に認められた「居場所がある人」ということを証明しているような感じ。

何か凶悪事件がおきたとき、加害者が「無職」と報道されただけで、みんな冷ややかな目で見始める。「やっぱヤバイやつだったんだな」と言わんばかりに。「会社員」と報道されると、「せっかく普通に働いていたのに、もったいない・・・」と言いだす。やったことは一緒でも、見方が変わる。理解できるようで、とっても不思議だ。

「ストレスでぶっ倒れちゃったんですよね~」も、私なりに編み出した、お互いに一番ノーストレスな言葉。私が「実はこんな病気でこんな症状で・・・」と説明するのは私も面倒くさいし、何より相手にとって重い。家族でも友人でもない人の病気の話って、あまり受け取りたいとは思わないだろう。逆に、なんにも起きてない風に普通に振る舞うことも出来るけれど、それは私にとってすごいストレスになる。たっくさんの嘘をつき続けることになるから。「ストレスで倒れた」くらいだったら、なんだかまぁ、時々聞く話でもあるからショックでもないし、でもそれなりにケアも心配もしてくれるから、私も居心地がいい。

別にネガティブになっているわけではない。自分には嘘はついていないから。
けれど、会社が世界の全てだった私にとって、今はとても客観的に、社会における自分の立ち位置を見ている。この肩書きに、私は守られていたんだ、と思う。社会のあたたかさも冷たさも知る。

気付けたのが今でよかった、と心から思う。とてもポジティブに、自分は何者でもない、ということを知っておいた方がいいと思うから。会社という檻に守られ、会社という檻に目隠しをされている。世間はたまに、マジックミラーのように私をみてジャッジし、でも大体は、いてもいなくても一緒なくらい、誰も私のことを気にしていない。そう気づくと、楽になる。結局は、自分の気持ちだけなんだと思うから。居場所がどこであっても。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。