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贅沢じゃないよね

昨日もそうだったけれど、なんか「弱音吐きたいモード」らしい。自分。

というのも、人が弱音を吐いているのを見ると、自分の弱いところをツンツンと刺激された感覚になる。それが、乙武さんのnoteだった。

有料なので、もし興味のある方がいれば、ぜひ読んで欲しい。

そして、有料のnoteに関してどれくらい内容を紹介して良いのか、というのがわからないのだけれど、、、私なりに配慮しながら書いてみるとする。(ダメな部分があればご指摘ください)ていうか文章というのは絶対に人づたいに聞くものよりも本人が書いたものを読むほうが良いので、興味があれば購読した方がいいと思う。

大体の方はご存知な気がするけれど、乙武さんはとても明るくて心の強い人という印象を受ける。テレビで拝見しても、いつもハキハキとご自身の意見をお話しされるし、とても勉強家でユーモアもある印象がある。要は、「自信がある」ように見える。少なくとも、「自分は障害者だから」と卑屈になったり、理不尽なことに泣き寝入りする様子なんて、微塵も感じられない。こういうのも、一視聴者としての本当にただの「イメージ」なんだけれど。

でも、そんな乙武さんでも、明るく生きていると自分自身でも思っていつつも、「障害者」としての弱さを、感じていないわけではないらしい。そういうことを、自分で自覚した瞬間があったらしかった。健常者ではなく、障害者である、という事実(や弱さ)を、まるで新発見のように、突きつけられた感じ。本当は深層心理にずっとあったはずなのだけれど。私は勝手に、そんな感じに読み取った。(本当はもっと深く丁寧な言葉で書かれているから、何度も言うけれど、本文をぜひお読みください)

乙武さんの場合はそれが「自分が障害者である」ということだったけれど、誰だってみんなそれぞれあるのだろう。そういう、認めているつもりはないけれど認めざるを得ない弱さとか、黒さとか、暗さとか、解決しようもないコンプレックスとか、そういうものが。時には、無自覚に。

生きていくのはそれだけで結構大変なので、そういう自分に眠る弱さみたいなものを無視しながら突っ走る瞬間は誰しもあるのだろうけれど、それに気づいた時に、乙武さんのように素直に涙を流せる人間でありたいと思ってしまった。

そして、そんな涙や感情を、こうして言葉に紡いだり、人に伝えたり、もっと言えば、それをパーソナルなもので良いから、誰かと共有することができたなら。何も問題は解決しないかもしれないけれど、きっと少し幸せが増える気がする。

贅沢なのかな。いやいや、贅沢じゃないよね。

Sae

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