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最強の「フィルター」があった時代

アラサーぐらいか、それ以上のご年齢の方ならわかると思うんですけど、ケータイを持つことが普通じゃなかった時代ってあったじゃないですか。基本的には、家の固定電話で生活していた時代。

あのときの恋愛って、よかったなぁと思うんですよね。(いきなり)
とてつもなく分厚くて高性能な「フィルター」が存在していたと思うのです。

好きな子と話したければ、家電に電話をかけるしかない。でも、誰が出るかはわからない。
めちゃくちゃ怖いお父さんかもしれないし、とってもおしゃべりでおせっかいなお母さんかもしれないし、同じ学校の先輩だったりもするお兄さんかもしれない。でも、もしかしたらもしかしたら、本人が出てくれるかもしれない。賭けなわけです。まぁ、どの場合でも大抵、家族にはドアに耳をつけて話を聞かれていたりするのだけど。

思春期の子にとってはそんなの、めちゃくちゃ勇気のいること。「その勇気を振り絞ってまでおしゃべりしたい、と思えるくらい好きかどうか」が、その時点ですでに試される。その勇気と、好きだっていう気持ちを持ち合わせているということが、わかる。電話をもらえた方は、「勇気出して電話してくれたんだ」と思って、嬉しくなる。それって、めちゃくちゃ良い人間関係の築き方だなぁ、と思ったりする。

今は、簡単にLINEで連絡とれちゃうし、こわーいお父さんが電話に出るかもしれないみたいなドキドキタイムもないし、よく女性誌とかネットとかでみるような"LINEスキル"的な小手先のもので左右したり左右されたりしちゃうし世の中だし。

これは恋愛関係だけじゃないけど、ある意味、とても気楽にコミュニケーション出来てしまう分、本物の「見る目」を養わざるを得ない環境にいるなぁと思ったりもする。フィルターが何にもないからね。。さらには、「小手先に騙されないように」と、ある意味とても疑り深く慎重になりすぎちゃって、勢いのあるドラマチックな展開が期待しづらいなぁとも思う。

・・・・とか、こんな感じで、最近の頭の中は「便利になったら得られるものと、失われるもの」みたいなことを頭の中でぐるぐる考えていたりしています。懐古的なのかもしれないし、ある種の昔の時代への憧れみたいなものがあるのかもしれないなぁ。また、気が向いたときに、書きますね。長くなりそうだから。笑

そういえばぜんっぜん関係ないんですけど、部屋の一輪挿しに飾っていたバラが昨日枯れちゃったので捨てたんですけど。バラって、枯れてもすごく良い香りがするんですね。見た目はぼろぼろなのに、捨てたごみ箱からも良い香りがして、後ろ髪を引かれる気持ちになって。なんだかニクいお花だなぁと改めて思ってしまった。やっぱりバラは、特別なお花なのかも。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。