見出し画像

タンブラーを持とうかな、と思えた話。

珍しく早起き!偉いわたし!
今週末は、わたしの「最強ばあちゃん」いや、「最恐ばあちゃん」が上京しているのだ。早朝のラジオ体操の爆音で起こされた。ラジオ体操の歌、わかりますか?「あーたーらしーいー、あーさがきたー♪」ていうやつ。あれを熱唱しておられました。88歳の最恐ばあちゃんは今日も元気です。。。

先日、台所で飲み終わったペットボトルを捨てるために洗ったりシールを剥いだりしていたとき、ふと「そろそろタンブラー持ち歩かないと、恥ずかしいな・・・」と思った。節約しなきゃ、とか、ゴミを減らしたい、とかではなく「恥ずかしい」が先に浮かんだのだ。

これぞ、「イメージの力」だと思った。世の中でなんとなく、「タンブラーを持っている方がかっこいい」「すてき」という雰囲気づくりが、成功している。少なくとも、私にはそう感じる。

別に誰に何かを言われたわけでもない。ペットボトルのお茶を手に入れられるお金も環境もある。でも、ふと、「そろそろタンブラーかな・・・」と思ったのだ。

空気や、風潮のようなもの。とてもふわっとしたもの。そういうもので、私たちは動かされている。法律や何かでもない。どこかしらで横目で見たテレビ番組、なんとなく耳に入ったラジオ、高速でスクロールしていくうちに吸収していったTwitterの情報、さらっと流し見したInstagram、通りすがりの街の人たち。生活していくうちに無意識に吸収していた情報たちが脳内で勝手に合わさって、ふとした瞬間に、私に「タンブラーでも持とうかな」という意識を芽生えさせる。意思が形成される瞬間なんて、そんなものなのだと思った。

プラスチックのゴミ問題がどうのこうの、といったガミガミとした説教を1時間聞かされるよりも、毎日のようにどこかで無意識に触れる情報が、私を動かす。「そんなもんなんだなー」と思うと同時に、だからこそ、日々の発信が重要なんだ、とも感じる。誰かがタンブラーを持ち歩いていたり、美しいモデルさんが特別言及するでもなくタンブラーで飲んでいる姿の写メをチラ見したり、可愛い雑貨やさんにさりげなくタンブラーが置かれていたり。そういうささやかな情報が合わさったら、一人の人間の意識を変えるのだ。

そう思うと、こうして私が毎日noteを書くこともしかり、いろんな人がいろんなところで自分の意見や考えを発信することの大事さを知る。それは一見ささやかで地味で、それだけで世界は何も変わらないような気がしてしまうけれど、それでも着実に、誰かを変えたりもする。だから、どんなに地道な発信も行動も、馬鹿に出来ない。自分の経験を通して、そんなことを思ったのでした。

良き週末になりますよう^^

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。