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オープンマインドでいこう

会ったことのある人には「ぜっっったい嘘だ」と言われるのだけど、わたしは猛烈に人見知りである。

人見知りだと自覚していて、でも「え〜!人見知りに見えない〜!」と言われる人は、たいていの場合、演じているだけである。(断言)

この世に生まれ落ち、小学校・中学・高校・大学・会社等、、、と社会に揉まれる中で、何となくこれくらいはできなければ、と勝手に危機感を感じて(もしくは感じざるを得ない環境にあって)、勝手に装備された能力。それが「初対面でも何となくフランクに人と喋ってる感じ」を装えるという能力である。

そういう訓練は幾度となく重ねてきたし、もう板についてしまったけれど、別に誰かを騙そうとか嘘偽りの姿で人に接しようと思っているわけでは全くなく、ただただ、致し方なく備え付けられてしまった能力なのだ。。。。

いかにも人見知りっぽいと言われる人たちを非難しているのではなく、むしろ羨ましいくらいで、いかにも人見知りっぽいと思えないような雰囲気や見た目、喋り方をする人であっても、人見知りだったりするのですよ、皆と同じように緊張したり「あー何しゃべろ」って焦ったり、この人苦手だどうしようでもとりあえず笑顔笑顔、、、とか思ったりするのですよ〜〜〜〜ということを強く伝えたい。

最近は、備え付けられた「偽・社交性」を発揮する場面もあまり少なく、もはや若干能力低下気味なので、むしろとても心地が良い。自分を良く見せるという行為は、良い結果を生みそうで、実は全然そうでもない。

見た目と中身が一致していないと、人間関係ではなかなか苦労する場面が多いような気がする。主義主張がはっきりあるのに「おとなしそう」とか思われるのも苦労するだろうし、一人でいるのが好きなのに「パーティー好きそうだから」とやたら誘われるのも大変だろうなぁ。

わたしの場合は、病気になって休職したことで、わたしはそんなに器用な人間じゃないんですよー、何でも笑顔でこなせるわけじゃないし、完璧なんて程遠い人間なんですよー、っていうことを結果的に多くの人に知ってもらえたことは結構ラッキーなことだなと思っている。

「自分のことを、そのままに理解してもらえる」というのは、予想以上に生きやすさに影響する。わたしはそう感じたので、出来ることなら、少なくともわたしの周りの人には同じように生きやすくあってほしいと思う。要は、弱さを隠さないで、無駄な見栄は張らずに「これが私なの、迷惑かけることもあるかもだけどよろしくぅ!」くらいのノリでいてほしい。

弱さを認めてオープンマインドでいないと、その向こう側に進めない。出来ることなら、一人は寂しいので、みんなで前に進みたいなー。とか思ったりして。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。