「高尚な解釈」なんてない

色々な解釈が生まれるものって、良い作品なんだろうなぁと思います。
昨日超長文(読んでくださった方ありがとうございます!)で書いたNetflix「ボクらを見る目」しかり。自分の中でも相反する感想が生まれたり、人との間でも違う解釈が生まれたりすると、その作品の持つ包容力のようなものを、感じます。

手塚マキさんの『裏・読書』という本を読みました。夏目漱石の「こころ」、俵万智の「サラダ記念日」など、超名作と言われている作品を取り上げ、それらを手塚さん流の解釈で評価したもの。

あぁ、そういう読み方もあるのね、とか、いや、そこは違うかも、とか、手塚さんの書評そのものに対しても色々な感情が生まれて、それも面白いなぁと思うと同時に、夏目漱石の「こころ」に関しては、なんだかどこかで経験したことのある感触を思い出したのです。

それは、私が高校生のころだったと思います。学校の現代文の教科書に掲載されていた「こころ」。普段から、何かとディスカッションしがちな校風の学校に通っていたので慣れてはいましたが、この「こころ」を取り扱った授業は、かなりヒートアップしたのを覚えています。具体的な内容はさすがに忘れましたが(おい)、教科書に掲載されているものにしては珍しく恋愛模様が描かれていること、そして、「先生」や「K」があまりにも面倒くさくて女々しい人間で、でも興味深い態度をとるものだから、私たちを「何か言ってやりたくて仕方がない」という感情にさせたのだと思います。女子高生に物申させてしまうのだから、この作品の包容力はすごいものなんだと思います。全く「教科書的」じゃないというか。わかりにくくて、でもわかるところもある、という生々しさが、読み手をモヤッとイラっとさせる。

ヒートアップする教室って、なかなか面白かったです。先生を置いてけぼりにして、教室のあちらこちらから「『先生』はこういう性格なんだと思う」とか「『K』の考えていることは意味不明」とか、ときには尖った発言に先生も生徒も爆笑しながら、いつの間にか授業が終わりました。「授業の進捗」とかもはやどうでもよかったんだと思います、先生も、私たち生徒も。それよりも、作品を面白がり、考えること、そして参加することが大事。「参加する」というのは、発言の有無とは関係なく。

そんな活発なところで本を読むことは、とても良い経験でした。本当は、作品に対して「高尚な解釈」なんて、要らないし、存在しないはず。高校生くらい、立場も年齢も評価も何も関係ない立ち位置で好き放題感想を言えたら良いなぁ、と思ったりして。

Sae

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Sae

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