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深い会話がしたい

世間はお盆休みから開けて、今日からお仕事なのでしょうか。

「もうやばいよ〜。9連休もしちゃった!社会復帰できねぇ〜」という友人に、「ふっふっふ、私なんて1月から休んでるんだぞ。もはや休みのプロだぜ」くらいにふざけて言っちゃうくらいにはなってきました。(私の周りは本気で笑い飛ばしてくれる友人ばかりで、控えめに言って最高!!です)

人間って、目に見える部分だけじゃないなーーーーっていう当たり前のことを、いつもぼんやりと思う。もっと多面的で、どんなにそばにいても知らない部分があって、「なんでも知ってる」なんてありえなくて、想像するよりもっと深い深いところに本音がある。

100%まではいかなくとも、会話をしていて「あ、いま、深いところで会話をしているな」と感じると、とても嬉しくなるし、相手に対しての愛情もどんどん深くなる。そう感じる会話のできる人が、少なくても良いし、できることなら何人もいたなら嬉しいなぁと思う。深いところで会話をできれば、たとえ他人でも、結局はひとりでも、寂しくは感じない。

大好きで尊敬してやまない宇多田ヒカルさんが以前SONGSという番組に出演された時に、たしかインタビュアーの人が「どうして宇多田さんの楽曲には、時代性や社会性みたいなものを反映しないのか」みたいな趣旨のことを聞いていた。

それに対して宇多田さんがこたえたのは「歌を作る時には、”わたし”と”誰か”、しかイメージできない」だった。自分が作った歌が社会に広く届くというのはもちろんなのだけれど、誰かが部屋の隅っこでひとりでヘッドホンして聴いている姿をイメージしてしまう、と。

なんだか人の心を動かすヒントがそこに詰まってるなぁ〜って深く納得したのを覚えている。多くの人の心を動かすものは、ほんのひとりの人間の些細な出来事やささやかな感情ひとつだったりするんだなぁと。

マーケティングとか、ライティング技術とか、「読まれる文章」とか、そういう方法論みたいなものはたくさんあるけれど、自分の中にある感情や想いを大切に抱えてそれを明らかにしていくことは、きっと欠かせないことだし、どんな法則よりも強いパワーを秘めていると思ってる。

わたしの気持ちを詰め込んだ文章も、いつかどこかの見知らぬ誰かに深く刺さればいいなって、そんなことを思いながら日々書いている。それはきっと、顔見知りの友人との何気ない会話よりも、ずっと深い部分での会話になるだろうなって思うし、それはとても幸せなことだ。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。