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大人になったいま、改めて読む『五体不満足』

今日は雨の中、新宿・歌舞伎町のホストクラブで開催された「読書会」に参加してきました。

「ホストクラブ?」「読書会???」という感じですよね。でも、昼の12:00スタート、ノンアルコールなんです。

今回のゲストは、乙武洋匡さんと手塚マキさん。そのお二人とホストの皆さんと一緒に、乙武さんの著書『五体不満足』を読もう、というイベント。予め指定された箇所を読んでは、テーブルの皆さんと感想を話したりお互いの意見をシェアしたり、というのを繰り返していくんです。

さすがにホストクラブなだけあって、自分のテーブルについていただくホストの方を指名(笑)できちゃう。そして、ホストの皆さんはぐるぐるとテーブルを回ってくださるので、たくさんの方のお話を聞けます。もちろん、ホストの皆さんはプロなので、気持ちよくおもてなしはしてくださいますが、ここは読書会。参加者の皆さんと一緒に、お互いフラットに意見をシェアします。これがまた、新鮮な感じ。(営業とかも特になかったですよ。ご安心を!笑)

さて、今回のイベント参加にあたって昨日、おそらく20年ぶり!?くらいに『五体不満足』を読み直してみました。

率直な感想は、2つ。
ひとつは、乙武さんのユーモアのある性格は昔からだったんだなぁ、ということ。笑 そしてふたつめは、「昨日出版されたの?」と思うほどに、新鮮に感じた、ということ。本に書かれていたような、障がい者に対する社会の眼差しというのは、今の世の中もそこまで変わっていなんじゃないかなぁ、と強く感じたのです。もう20年も前に出版された本なのですが。

今回の読書会でもトピックとして挙がっていましたが、「健常者」と「障がい者」に別の教育を受けさせることについてどう思うか、という点については特に、私自身とても考えさせられるものでした。そもそも、「健常者」と「障がい者」という分け方に、違和感を感じたからです。そして、そういった分け方をしていることで逆に苦しんでいるのは、実は健常者なのではないか、と思ったから。

どこまでが健常者で、どこからが障がい者なのか。おそらく辞書を調べれば書かれていることでしょうし、国として決められている基準もあるのでしょう。けれどそれは机上の話で、現実社会では、違うもので決められます。見た目とか、できることやできないこととか、とかとか。

例えば私の場合、パニック障害で電車に乗れなかったときがあったのですが、「電車に乗れない」というのは、「障がい」なのでしょうか。例えば足を骨折して、1ヶ月間車いすで過ごすことになったとしたら、その1か月間は「障がい者」と見なされるのでしょうか。実は、社会で普通に語られている「健常者」と「障がい者」の境目って、ものすごく曖昧なんだと思うんです。あって、ないようなもの。

私がパニック障害を打ち明けたとき、友人からたくさんの連絡がきました。大丈夫?とか可哀想、とかそんなのは実はあんまりなくって、実際に来たのは「実は私もこんなことで悩んでいて・・・」という、弱音や悩みを吐露するものばかり。私はとてもびっくりしたのです。みんな、誰にも言えずに悩んでいたんだ、と。

もしかしてこれは既に偏見なのかもしれませんが、いわゆる目に見えてわかるような障がいを持っている方のことを「悩みがないひと」「なんでもできる人」と勝手に決めつける人って、なかなかいないと思うんです。でも、見た目でわかるような障がいをもっていない人に対しては、人は思ったよりも、想像力を働かせようとしません。「みんな元気」で「みんな普通」だと思い込みやすい。自分がパニック障害という「目に見えない」病気になって、強く感じたことでした。

話を戻して・・・、「健常者」と「障がい者」という分け方で子どもたちを教育することは、健常者を「普通」とか「これが出来て当たり前」という檻の中に閉じ込めるようなことになりかねない、と思うのです。そして、普通でない自分を嫌ったり、普通でなくなることを怖がったりしてしまう。どんどん、その檻の中が息苦しくなっていく。

乙武さんも本の中で書かれていますが、健常者と言われる人の中にも、それぞれの特徴がありますよね。足が速いとか遅いとか、勉強の得意不得意とか、身体が強い弱いとか、本を読むのが速いとか遅いとか。

じゃあ例えば、パニック障害で一定期間電車に乗れない人や、骨折して1か月車いすにのるひとを、どちらの学級に入れますか、と聞かれたとき、多くの人は「普通学級」と答えると思うんです。でもそれは、年中車いすにのるひとと、何が違うんでしょうかね・・?

あまりにも健常者を「健常者」として扱い、障がい者を「障がい者」として分断して別の生き物のように扱うことは、「健常者は健常者らしく」「みんなが出来ることは自分も出来なければならない」「健常者だけで構成された世界が”普通の世界”だ」と思ってしまうことに繋がるような気がしています。そしてそれは、大人になったときに、「自分はみんなと同じ"普通"でいなければならない」という強迫観念に発展するんじゃないかな、と。だから、どんなに見た目が普通で元気でも、誰にも言えない悩みを抱えてしまうんじゃないかな、と。

別に誰も完璧じゃない。なんでもできるひとなんていない。時に挫折する。100人中99人ができることを、自分だけができない日が来るかもしれない。そんなときでもそんな自分を受け容れることができるように、たくさんの特徴を持った人に囲まれながら、経験を積んでいくべきだと思います。子どものうちから。それが、いろんな特徴を持つ人を自然に受け容れることに繋がるんじゃないかなと感じるのです。

今回の読書会も、多種多様な人たちが集まっていました。性別も国籍も年齢も職業もバックグラウンドも、様々。どこに線引きをすることもできません。私がテーブルをご一緒させていただいた方々も様々な意見をお持ちの方で、私自身とても勉強になりました。正しいも間違っているもないし。フラットで、居心地のよい空間でした。

ただのイベントレポではつまらないかな、と思い、改めて『五体不満足』を読んで感じたことをつらつらと書かせていただきました。学校での受け入れ問題や、たくさんの事情、現実があることも想像できたのですが、敢えて好き勝手書いてみました。。皆さんの意見も是非お聞かせください!

イベントの様子、写真や動画でちょろっとTwitterに載せていますのでよろしければ。→@sae8320

◆私も月額購読していて、毎回新たな視点を与えてくださる乙武さんのnote

◆今回のゲスト・手塚マキさんの著書。今日ゲットしたので読みます!

◆イベントの主催社、ハフポスト日本版。いつもウォッチしています。

Sae

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「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。