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アラサーが思う、トモダチのこと

今日は大好きな友人の誕生日!
私の同級生は今年30歳になる年なので、みんな続々と30代になってゆく。私はもうちょっとだけ先だけど、30代が本気で楽しみだったりする。

自由と責任はセットで語られる。自由であればあるほど、責任が増えてゆく。それは納得。でも、「責任を負いたくないから自由でなくていい」とは思えない私。責任があったとしても、自由でいたい。20代は怖いものや不安なことがあまりにも多すぎた。自由も責任もじっくりと味わえるのは、30代からなのかもしれない。

10代や20代前半の自分は、自分の友人付き合いにとてもコンプレックスを持っていたりした。昔から警戒心が強くて一匹狼みたいなところがあったし、特別に仲が良い!なんでも言える!と思えるような固定の友人(というのかな?)がいないんじゃないか、私のことをそう思ってくれる人はいないんじゃないか、と不安だったりした。所属するグループみたいなものにもあんまりどっぷりとハマれなくて。でも、今くらいの年齢になると、それでよかったな、と、かなり納得感がある。

今になって、学生時代に全然話さなかったような人と濃い友人関係を築けたりしている。あれ、こんな話をするような仲だったっけ?と思ったりするけれど、それができるのは、自分が一匹狼っぽい存在だったり、何か一つの関係性にハマらなかったからなのかも、とも思う。

どこかに濃ゆく所属したり、ひとつの世間に没頭することは、味方を作ることになるのかもしれない。いつだって一人じゃない、と思えるのかもしれない。孤独感から解き放たれるかもしれない。でも、それは逆に、それ以外の人たちの交流を狭めたり、知らず知らずのうちに人のことを遠ざけたり拒絶したりすることにもなりうる。

どっちがいいとかいう話ではないと思う。一匹狼も孤独だし。でも、だからこそ築ける人間関係もある、幅が作れる、と今なら思える。これは、10代や20代前半のような揺らぎのときには気付けなかったことだなぁと思う。

スクールカーストのような基準や、グループみたいなものは、気にしなくていいよ。好きなように、好きなときに、好きなひとと一緒にいればいいんじゃない?と、今なら言えるなー。孤独とも、ちゃんとお友達になるのだ。

思えば、平成元年生まれの私たちが、令和元年に30歳になるのね。なんか勝手に、特別感を演出したくなっちゃう。ちゃっかり。笑

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。