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ずっと、大切な時間

昔から、How to本とかビジネス書や自己啓発本があまり得意じゃなかった。
「●●するための20の方法」とか、「成功者はみな、~~をしている」とか、そういうやつ。

それから、Twitterとかで経営者や超意識の高い人(馬鹿にしてるわけじゃなくて、本当に色んな意識の高い人)を勉強のためにフォローして追いかけていると、だいたいみんな「死ぬ気で頑張らないと成功できない」とか、「成功する人はたいてい、人が休んでいるときに努力している」とかそういうことを言っていたりして、んもう超苦手だなぁと思ってそっとアプリを閉じる。

なんでこんなに苦手なんだろう、余計な圧を感じるんだろう、見るだけで疲れてしまうんだろう、て考えた。たぶん、私にとっては、今は十分「努力している」からだと思う。もう十分、私としては努力している、頑張っているのに、そこに「努力しなければ」というような、刺激を与えてくれるような人は、うっとうしくてたまらないのかもしれない。

「頑張る」の水準って、人によってほんとに違う。自分では頑張っているつもりでももっと頑張れる余白のある人もいるかもしれないし、自分のキャパシティと同じくらいの水準で「頑張っている」と感じられる人もいるかもしれない。たぶんわたしは、自分が思っているよりも、ずっと多く「頑張ってしまう」人で、しかもそれに気付くまでに時間がかかる人。あれ、私、頑張ってたっけ・・・?と、溢れるギリギリになってから、気付く人。そういう人もいるのだ。

だから、よく言われていることだけれど、容易に「頑張れ」なんて言っちゃいけない。そして、本当に頑張ってなくって、頑張らなきゃいけない状況にある人は、そういう自己啓発本みたいなものを読んで刺激を受けてもいいかもしれないけれど、そうじゃない人には本当に必要のないものなのかも。私がそういうものを苦手に思っていた理由が、なんとなくわかった気がした。だいたいそういうのに書かれている「努力」とか「根性」って、筆者基準じゃろがい!押し付けるなぁ!と思ってしまうしね。。。

そんなタイプの私にとって、本当の刺激というのは、何もない空間だったり、何も生まれない時間だったり、ただ雲が流れているだけの空だったりする。わんこのふさふさとした身体を撫でている時間だったりする。滴り落ちるアイスの甘さだったりする。素敵な絵を眺めてときめく心だったりする。そういうものの方が、ずっとか刺激になるのだ。いっぱいいっぱいの頭の中に、隙間を作ってくれる時間。そこに、新しい風を通してくれる時間。

ビジネス書なんかより、自己啓発本なんかより、ネットニュースなんかより、私にとっては、ずっと刺激的で、大切な時間。そういう種類の刺激を、ちゃんと日常の中に取り込んでいきたいな。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。