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【街と家と人】石川県七尾市・大呑(おおのみ)

取材のために出かけた場所はいくつもあるけれど、何とも言葉で説明しがたい土地、というのにたまに出くわす。ライター業なのに言葉が追いつかないだなんて本来とってもダメなことなのだけれど、そういう場所は確実に存在する。

今日のテーマはそのひとつ、石川県七尾市の大呑(おおのみ)地区。

私は海のない岐阜県で育った。
それでいて両親は温泉とカニが大好きだったから、子供の頃の家族旅行は福井や石川などの北陸地方へ出かけることが多かった。

冬の日本海はいつも荒々しくて灰色で、冷たい北風と雪がセットだった。美しいビーチというよりは切り立った岩場と、打ち寄せる白波が目につく。
北陸はカニがおいしいし温泉も気持ちがいいけれど、どこかものさびしくて怖いところだと、子供心に思っていた。

最後に石川県七尾市へ行ったのは、いつだっただろう。冬の家族旅行で和倉温泉に出かけ、カニを食べ、露天風呂につかって荒波を眺め、帰りには大雪と路面凍結でエラい目にあった。相変わらずワイルドな大自然だな、と思ったことはよく覚えている。

18歳でふるさとを離れたあと、本州や九州で何度か引っ越しを繰り返した。
40歳を過ぎて、もうここ熊本に永住するのかもしれないと思い始めていたある日、唐突に北海道へ引っ越すことになった。

初めての北海道での暮らしは、毎日が驚きの連続だった。住まいは札幌だからそれなりに都会なのだけれど(少なくとも熊本よりはずっと大きな街だ)、北海道は何かとスケールが違って、いちいちワイルドで度肝を抜かれることばかりだった。

寒い。広い。荒々しい。いろんな野生動物がいる。キタキツネやエゾシカくらいならばかわいいけれど、ヒグマとかもふつうにいる。

そして本当に手つかずの大自然、というものがあちこちに広がっている。
たくさんの活火山。視界の果てまで人工物がひとつも見えない原野。一度降ったら春まで溶けない上にどんどん降り積もる深い深い雪。冷たく尖った針葉樹の森。北の海から押し寄せる流氷。切り立った断崖絶壁に吹き付ける北風。

そういうものたちが、いちいちすごかった。大地はどこまでも広くて、そこに住む人の存在など気にもとめていないようだった。

北海道に引っ越して1年ほど過ぎた頃、石川県の七尾市へ取材に行くことになった。

七尾市といえば和倉温泉、加賀屋、それとも辻口シェフのスイーツ屋さんかといろいろ想像したけれどどれも違った。

大呑(おおのみ)という地区にある、一棟貸しの宿の取材だ。
とある画家がアトリエとして使っていた建物をリノベーションした宿で、棚田と富山湾を見下ろす立地だという。

大呑ビレッジ遊心庵、という名前の宿だった。

11月のよく晴れた日で、遊心庵は青空にくっきりと映えていた。

薪ストーブのある広いリビング、大きな窓のある寝室。眺めのいいテラス、BBQができる庭。素敵なところだった。

そして何よりすばらしいのは、宿の周辺に広がる美しい里山と里海の風景だった。派手なものは何ひとつないのに、実に美しかった。

この土地に住む人達は、何代も前から自然と共生してきたのだろう。

山から海に向かって棚田や段々畑がゆるやかに広がり、地形に沿った小さな港がある。

豊かな富山湾の漁場から、新鮮な魚介が水揚げされる。海と山の間には、瓦屋根を乗せた昔ながらの家が点在している。

適度に人の手が加えられた山林、愛らしい狛犬のいる古い神社。集落の間を流れる穏やかな用水路。今年の収穫を終えた田んぼでは、キジたちがのんびりと遊び回っていた。

クロスバイクで大呑地区を走っていると、青い空と海に吸い込まれそうな気がした。

穏やかで、人とともにある自然の美しさを久しぶりに見たな、と思った。

およそ人をよせつけない、どこか神がかったような恐ろしい自然があふれる北海道に慣れてきていたからだろうか。

もちろんどちらが良い悪いということではないのだけれど、大呑の風景はとても新鮮だった。

ありふれた言い方をするならば、大呑は初めてなのに懐かしさを感じる場所だ。心のふるさとみたいな景色、ということなのだろう。

能登半島は冷たくて荒っぽいところだと子供の頃は思っていたのに、久しぶりに見るとまったく違った。どこまでも穏やかで、美しかった。

石川県七尾市、大呑地区。里山と里海に抱かれた大呑ビレッジ遊心庵は、いい宿だなと思った。

取材をもとに旅行予約サイトに記事を書いたけれど、ここの良さを表現するのはなかなか難しい。

空き家を活用するとか農泊体験ができる一軒家とか、そういう宿は全国に少しずつできてきている。
どこも自然は豊かで美しいし、似たようなところはほかにもあると言われてしまったら、即座に反論するのはもしかしたら難しいかもしれない。

それでも、大呑の美しさと気持ちよさは本物だった。そこに住む人のあたたかさも素敵だ。

風景にとけ込んだ小さな一軒家の宿は、この地にとてもふさわしい。空気が澄んでいて、夜には星もきれいに見える。
穏やかな湾の対岸は富山だから、春先には海の向こうに雪をかぶった立山連峰が見えたりするのだという。

大呑はどこにでもありそうで、それでいて特別な場所、と言えるかもしれない。
地味といえば地味なのに、不思議な存在感があって忘れがたい。そんな場所だ。

いつかまた全然別の季節に、ふらりと行ってみるのもいいなと思っている。特筆すべきものは何もないかもしれないけれど、でもきっと、それがいい。




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