東京吉本VS大阪吉本 ざっくり推移

はじめに

2024年1月31日放送のテレビ朝日「チョコプランナー」で、【東京吉本大新年会】を開催。2023年はサルゴリラ、令和ロマンなど東京吉本大活躍の年であったが、大阪吉本への微かな対抗意識や、東京吉本の結束の弱さなどの問題点について言及した。
そこで、資料と個人的記憶を基に、この問題を解明していきたい。

年表

1994年3月27日、銀座7丁目劇場誕生(99年閉館)。
1995年、渋谷公園通り劇場誕生(98年閉館)。
吉本総合芸能学院東京校(東京NSC)開校。
2001年4月、ルミネtheよしもと誕生。
2006年3月、ヨシモト∞(無限大)ホール誕生。
2006年11月4日、よしもと浅草花月開催(2015年7月26日終了)。
2007年7月7日、神保町花月(現・神保町よしもと漫才劇場)誕生。
2008年3月24日、東京吉本本社が新宿歌舞伎町に移転。
2013年12月20日、よしもと幕張イオンモール劇場誕生。
2014年7月7日、大宮ラクーンよしもと劇場誕生。
2018年11月10日、ヨシモト∞ドーム1、2誕生。

解説(のようなもの)

80年代、漫才ブームが起こり、東京のテレビ番組に大阪の芸人が多数出演するように。明石家さんまなど東京を拠点に活動する芸人が増え、東京に事務所を構える。赤坂のマンションの一室からスタート(B&Bはマネージャーと一旦吉本を辞め、独立。東京に個人事務所を構えた)。

ダウンタウンが東京進出。東京吉本所属タレント、野沢直子がブレイク。(月亭方正(山崎邦正・チーム0)が東京の劇場シーンを開拓)。

94年、銀座7丁目劇場誕生。自分達の拠点劇場ができると喜んでいた、極楽とんぼをトップとする東京吉本芸人(ココリコ、ロンドンブーツ1号2号)と、これまた自分達がメインと聞かされて、大阪から進出した、雨上がり決死隊をトップとする吉本印天然素材ら大阪上京組が衝突。

2001年4月、前身「新しい波8」という1年間のオーディションを経て、「はねるのトびら」が放送開始。大阪吉本所属、芸歴1年目のキングコングがメインMCを務めることになり、同じ番組レギュラーで芸歴上先輩の東京吉本所属、ロバート、インパルス(東京NSC4期)が待遇格差を味わう。

2001年末、「M-1グランプリ」で中川家が優勝後、大阪から上京する大阪吉本芸人が増加。ルミネtheよしもとにも出演するようになり、尖っていた品川庄司・品川(東京NSC1期)がMCを務めるところで、ブラックマヨネーズがスベらされるまでフラれ続けるなど、衝突が続く。

ピース綾部(東京NSC5期)が東京吉本芸人を仕切る。
(2024年1月31日放送「チョコプランナー」より)

2005年頃、オリエンタルラジオ(東京NSC10期)が芸歴1年目にしてブレイク。以降、中田敦彦が権力を持ち始める。
(後に、大阪吉本、非吉本に比べ、東京吉本の結束の脆弱性を危惧する発言をする。)

2016年10月8日、ピース綾部が2017年4月から活動拠点をニューヨークに移すと発表。

現在、ネルソンズ・青山フォール勝ちが、∞ホールのリーダーを拝命。

まとめ

東京と大阪の衝突は、元々の東京吉本の成り立ちが、大阪吉本主導であった事が大きい(大阪の会社なので)。大阪の芸人を東京で活躍させることが主な目的で、大阪から出向させられた社員も多く、東京で基盤を作っていくビジョンが無かったように見える。
90年代から2000年代の衝突も、社員から芸人への具体的な説明、懐柔といった根回しが無かったことが大きいように思える。

結束力については、大阪吉本の芸人がほとんど関西出身であるのに対し、東京吉本は東京、関東のみならず、北海道や中国、九州、沖縄、そして関西など出身がバラバラで【全国吉本】であり、独自性、文化を築きにくい事も大きい。

また、大阪吉本が自分達の劇場に立つ【漫才師】【コメディアン】を育てることを目標としているであろう事に対し、東京吉本のみならず、東京の芸能事務所は、メディアで活躍するタレントを作りたい、という目的で設置されていると思われるので、この考えが芸能人と社員の間で、またそれぞれの間で、齟齬を生む可能性が高いと見え、意思を統一させることができないのではないだろうか?


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