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頭の良さは努力か才能か 〜暗黙の知能観と大学受験〜

頭の良さは努力によって変えられる vs. 生来のものだから変えられない

知能に対する信念(implicit theory of intelligence)には2種類ある。1つ目は知能は努力によって改善可能であるという信念(増加的知能観)、もうひとつは知能の量は生来固定でありそれを大きくかえることはできないという信念(実体的知能観)である(Dweck & Leggett(1988))。

ここであなたはどちらの信念をもっているか調べてみよう!この暗黙の知能観は次のようなアンケートに対する回答で測定する。知能は変化しないは1点、変化するは20点。中間は10点で回答するとする。あなただったら何点で回答する?

一般的にあなたはどの程度人々は知能を時間とともに変化させることができると思いますか?
人々は時間をかけて自分の知能を大きく変化させることができると思いますか? それとも、人々は時間をかけても自分の知能を大きく変化させることはできないと思いますか?

たぶんあなたは11点〜20点あたりで回答した思う。つまり、増加的知能観をもっているのではないだろうか?あとで述べるが日本人では増加的知能観が優勢であることが調査によって明らかにされている。

失敗や困難に直面した時の行動の違い

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Dweck & Leggett(1988)の実験によると、増加的知能観をもつ人々は、困難や失敗に直面した時、それを新しい強みを獲得する機会とみなし習得に努める。一方、実体的知能観をもつ人々は困難や失敗に対した時、それを脅威とみなし挑戦を避ける。つまり、知能についての考え方の違いによって、困難に直面した際の行動がかわるとされている。

北米と東アジアとの文化差

中国とアメリカの高校生を対象としたStevenson & Stigler (1992)による調査では、60%以上の中国人の高校生は、学校での数学の成績は努力によると回答した。一方、努力によると回答したアメリカ人の高校生はわずか25%であった。同様に、Heine(2001)はアメリカ人と日本人の被験者に知能はどの程度生まれによるのかそれともどの程度努力によると思うか質問したところ、アメリカ人の被験者は知能の大部分は生れによると回答した一方、日本人の被験者は努力によると回答した。これらの研究は北米では実体的知能観が、中国や日本は増加的知能観が優勢であることを示唆している。

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実はこのような信念の違いは知能だけではなくスポーツなどでもある。よくプロ野球選手がメジャーと日本のプロ野球の練習の違いについて触れることがある。メジャーはプロ野球に比べて練習しない。逆にアメリカ人のメジャーリーガーが日本のプロ野球にきたら練習が多いと嘆く。これはアメリカ人はスポーツの能力について才能だと思っていて練習はあくまでコンディション調整とみなしていると説明できる。一方、日本人はプロになっても練習で能力がさらに上がると考えているため、たくさん練習する。

大学入試試験がこの信念を維持している?

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知能の話に戻ると、Heine (2008)はアメリカと日本の暗黙の知能観の違いは 各々の国の文化資源である大学入学者選抜試験と相互構成的関係にあると仮定している。アメリカでは良い大学に入るためには、大学進学適性試験である SAT(Scholastic Assessment Test)で高得点を獲得する必要がある。SATは生来の適性を測るため設計された試験であり、テスト作成者は本来努力による得点の向上を期待しない。一方、日本の大学入学者選抜試験は歴史における年号の記憶問題に見られるように、大部分が暗記問題である。暗記・詰込み型教育と揶揄されるように、日本における大学入試選抜試験は努力による得点の向上を暗黙に期待しており、自分の学力不足を欧米に比べて努力不足に帰する傾向の強い日本人の知能観を強く反映していると思われる。

実際に調査してみた!

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さて、ここからは私が実際にアンケートを行って調査した結果を紹介する。ほんとに大学入試試験が知能観を強化しているのだろうか?これを確かめるために、大学の受験勉強をほとんど終えている時期の2月後半に日本人の高校3年生140 名(男性 73 名、女性 67 名)の暗黙の知能観を調査した。調査に回答する高校3年生はインターネット調査会社のモニターから集めた。

大学受験した高校3年生 vs. 大学受験しなかった高校3年生

140 名の回答者のうち、94 名が大学受験生であった。また、志望校に合格したと回答した回答者はそのうちの 62 名であった。そこで本研究では、被験者を非受験群(46名)、不合格群(32名)、合格群(62名)に分類し分析を行った。

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さて、140人の高校3年生の暗黙の知能観の平均値は11.76(SD=5.11)であった。つまり、やはり知能は努力によって改善するという考えをもっている人が優勢である。では、各グループでの平均値はどうか。大学受験で合格した学生、大学受験で不合格だった学生、大学受験自体をしなかった学生ではどうか。

下のグラフが各グループの知能観の得点の平均値だ。

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重回帰分析と呼ばれる統計手法で3群を比較したところ、予想どおり、大学受験をした学生は大学受験をしていない学生に比べて、知能は時間を通じて改善できると考えていた。一方、合格者と不合格者の間の知能観得点に有意な差は見られなかった。合格不合格は関係ないようだった。

日本における大学入学者選抜が増加的知能観の維持・強化に寄与している可能性があることがわかった。これは入学者選抜試験の対策を通じて、以前は解けなかった問題が解けるようになる経験や、模擬試験での偏差値の向上などの経験を通じて、学力が努力によって向上するという経験を得て、知能は時間をかけて増加しうるという増加的知能観が強化されたものと考えられる。

なお、この調査はある一時点の横断調査のため、本気で実証しようとしたら縦断調査を行うことが望ましい。つまり、同じ被調査者について、高校1年生のときと高校卒業時の暗黙の知能観を測定して、大学受験対策によって本当に増加的知能観が強化されているのか調べたほうがいいということを付け加えておく。横断調査だけだと、原因と結果を明らかにしたとは言えない。

まとめ

日本人では知能は努力によって改善されるという信念が優勢で、しかも、その信念は大学受験によって強化されていそうだということはわかった。では、なぜこのような信念が日本や中国では優勢で、逆にアメリカでは知能は才能で変化しないという信念が優勢なのだろうか?そもそもどうして日本では努力によって得点が向上するような試験を設計しているのだろうか?アメリカでは才能を測ろうとしているのだろうか?その点については、文化心理学という分野で研究が盛んに行われいて、たくさん知見がある。また機会があったらブログで紹介するので、フォローをよろしくおねがいします!

あと、よかったらiPhoneの日記アプリも開発しているのでダウンロードしてくれるとうれしいです。

引用文献

Dweck, C. S., & Leggett, E. L. (1988). A social-cognitive approach to motivation and personality. Psychological review, 95(2), 256.

Heine, S. J. (2001). Self as cultural product: An examination of East Asian and North American selves. Journal of personality, 69(6), 881-905.

Heine, S. J. (2008). Cultural psychology. New York: WW Norton.Stevenson,

H. W., & Stigler, J. W. (1992). The leaning gap: Why our schools are failing and what can we learn from Japanese and Chinese education. New York: Summit Books.

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