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言挙げせずともとしは栄えむ

あけましておめでとうございます。
いよいよ平成最後の年ですね。本年もよろしくお願いします。

お正月は父と母が必ずケンカしていたせいか、あまり良い記憶がありません。

思えばご飯の炊き方がゆるいとか、目玉焼きの黄身の部分が固すぎるとか、よくまああれだけくだらない理由でケンカできていたと思います。
大人になってアドラーの教えを書いた「嫌われる勇気」という本を読んだ時、私は「人は何か原因があって怒るのではなく、まず怒りたくてその理由を探すのだ」というくだりを読み、そうかお正月のアレはコレだったのか、と首がちぎれるほどうなずいたものです。

そういうわけでとにかくお正月は暗かった。
とくにホラー風味を帯びていたのは6歳の時のお正月の出来事です。

その日、私たち一家は珍しく自宅ではなく親戚の家でお正月を迎えていました。家にいなければさすがに父も母もケンカはしないだろう、と私はひそかに胸をなでおろしていたものです。

ところがそうは問屋がおろしませんでした。
最初は新社会人の甥っ子に上機嫌で訓示などを垂れていた父ですが、やがて甥っ子の去年のボーナスの額が父の10倍と知ったとたんギッと顔色をかえ、横にいた私もまたピシッとその身を固く締めました。宝船ならぬ超大型台風到来の予感です。

私のカンは当たっていました。帰り道、タクシーを降りるなり酔っ払った父はチクショーバカにしやがってーみたいな罵詈雑言を浴びせながら、目に映るもの手に触るものすべてに呪詛の言葉を投げかけていました。

そうなると手がつけられないので母は私と妹の手を引き、さっさと自分たちだけ先に家に入り、狭い四畳半二間のトイレ前にかかったのれんの影に隠れました。

やがて父が帰ってきました。すでに人ならぬなにかに変化した父はもはや人語を理解せず、うおーてめえらどこ行きやがった、と家の中でわめきながら私たちを探し回っています。
後年私は東北地方の大晦日に民家を訪れ「誰か悪い子はいねがー」と子供を襲うという「なまはげ」なるものの存在を知りましたが、あんなぬるいものを怖がるなんて東北の子供はどうかしてると思いました。葛飾柴又のなまはげは良い子だろうが悪い子だろうが遠慮なく襲いかかってくるのです。

そんななまはげ状態の父が家の中で暴れている間、私と妹は声を出さないよう、トイレの前ののれんの奥で母に口をふさがれていました。絵ヅラだけみれば完璧なホラー映画のワンシーンです。私がゾンビ映画の類を一切見ないのはこの時の記憶が原因です。

そんなハードモードのお正月しか知らない私なのですが、大人になってとある信仰宗教の教祖のお嬢さんと話した時、さすがの私もこれにはとてもかなわないと思いました。

というのは、彼女のお正月は一家を始め親戚一同信者全員に至るまで揃って白装束に身を包み、琴の音が奏でられ屋内にお花畑と人口の川が流れるだだっ広い大広間で彼女の父である教祖に拝謁したあと、それぞれお題目を唱えながら教団の庭にある冬のプールに飛び込んでいくというものだったからです。

一家でコタツをはさんでお正月からケンカできるなんてうらやましいなあ、と教祖の娘にしみじみ言われた時、私は返す言葉がなく、人間つくづく自分本位にものを考えてはいけないんだ、と己れをいましめたものです。

我が欲(ほ)りし 雨は降り来ぬ かくしあらば 
言挙げせずとも としは栄えむ

万葉集の中にある大伴家持の雨乞いの歌ですが、お正月というと私は必ずこの歌の下の句を思い出します。

言挙げせずともとしは栄えむ。

皆さまの今年のお正月はどんな感じですか。

#コラム #佐伯紅緒 #エッセイ #下町 #元旦 #お正月

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