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神はサイコロ遊びはしませんが

今日は朝から今年最後のハリ治療の日だったのですが、年の瀬のせいでしょうか、なんとなく鍼灸師の先生と見えない世界の話になり、いろいろ話しているうちに先生がポツリと言いました。

「僕はねえ、子供の頃から、常に見えない誰かに上から見られているような気がするんですよ」

私はべつだん驚きませんでした。なぜなら、私もそうだからです。

ただ私の場合、それには確固たる理由がありました。

あれは私が28歳、例によって赤坂の料亭で働いていた時のことです。
ある日、個室で客が帰ったあとの下げものをしていた私は、横着していちどに運ぼうとあれもこれもお盆に乗せすぎ、よいしょと持ち上げた途端、首の奥がグキリと鳴りました。
その時はどうともなかったのですが、翌朝、起きたら首が右にも左にも回らなくなっていました。左右どちらかを向かねばならない時は身体ごと、といういわゆる「サンダーバード状態」です。

慌ててすぐ病院へ行ったところ、病名は「頚椎ヘルニア」。それは切った貼ったでは治療できない種類の病気で、医者は痛み止めと湿布を出すばかりで治療はしてくれませんでした。

重いものが持てなくなった私はリストラの危機に陥りました。ところが、そんな私を見かねた職場の姐さんが「こういう時は東洋医学よ」と池袋の漢方治療院に連れて行ってくれたのです。

合気道5段だという台湾人の先生は、私に電気バリを打ちながら植芝盛平(合気道の開祖)と中村天風(なんかいろいろ伝説のあるえらい人)の素晴らしさを説いたあと、これはサービスだからお金の心配はしなくていい、と私に小さな麻袋がたくさん入った紙袋を渡して言いました。

「これを袋のまま煎じて飲んでね。中は決して開けないこと。見たらアナタ、絶対に飲めなくなってしまうからね」

私はもちろん鍼灸院を出るとすぐ隣のドトールに入りました。そしてコーヒーを注文する間ももどかしく、席につくなりただちにそのタコ糸で括られた麻袋を開けたのです。

次の瞬間、狭い池袋のドトールの店内に私の悲鳴が響きました。麻袋から出てきたのは大量のゴキブリでした。もちろん、生きているものではありません。それは乾燥させた「シナゴキブリ」という貴重な漢方薬だったのです。

先生の気遣いを無にした罰当たりな私の耳に、その時、普段なら決して気に留めることのない店内音楽が入ってきました。
それはテレビなどで聞き覚えのある陽気なラテン音楽でした。ラクカラーチャ、ラクカラーチャ、という明るいサビのその歌の、今思えばたまたまその日本語訳を知っていたというのも必然でしょう。

それはメキシコ民謡の『ラ・クカラチャ(ごきぶり』という歌でした。

断言します。

神かどうかは知りませんが、「見えざる大いなるなにか」は存在します。
そしてその存在はアインシュタインの言うようにサイコロ遊びはしないかも知れませんが、少なくとも私のような「パンドラの箱を開けるタイプの女」をからかうメンタリティを持っています。

#コラム #佐伯紅緒 #エッセイ #健康

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