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マハラジャ君の災難


帰国子女、というと国籍不明な化粧にサイケデリックな柄のファッション、オーバーアクションに怪しい日本語というのが私の通俗的なイメージですが、マハラジャ君は一見、そのどれにも当てはまらない帰国子女でした。

マハラジャ君というのは私が派遣社員をしていた頃、隣の担当にいた社員さんです。
商社勤めの父親の仕事の都合で12歳までインドにいたマハラジャ君は、背は低く見た目も童顔、一見、虫も殺さないような可愛らしい顔をしていたのですが、なんのどうして、我ら派遣社員の間では要注意人物リストのトップに上がっている人物でした。

形容詞をつらねるよりも実例をあげた方がわかりやすいですね、私は隣の島だったので直接の被害はこうむりませんでしたが、それでもいちどだけ、マハラジャ君の直撃を受けたことがありました。

それはたしかゴミ箱に火のついたタバコの吸い殻をマハラジャ君が捨てた捨てないレベルのことだったと思います。
インド育ちの彼にとってはなんでもないことだったのでしょうが、ここは高層ビルの41階です。映画「タワーリングインフェルノ」のようになっては大変、と私の方が年長さんということもあって少しきつめに注意したところ、数分後、私の業務用PCにマハラジャ君からメールが届きました。

「身の程を知れ」

しばらくの間、私はその不思議なメールをしげしげと見つめていました。 「身の程を知れ」、普通に生活しているとなかなかお目にかかれるワードではなかったからです。

しかし、職歴放浪の旅も長く続くと人間、いろんな小賢しい知恵がついてまいります。長年のカンで、こういうささいなことがロクでもない上下関係の発端となるのを知っていた私は、今日の汚れは今日のうちに、とすぐ席を立ち、つかつかとマハラジャ君のところへ行って頭を90度下げました。

「申し訳ありませんでした」

マハラジャ君は驚いた顔で私のことを見ていました。まさかすぐに私が謝りに来るとは思ってもいなかったのでしょう。
不意の反撃にみるみる顔を赤くさせてゆく彼に向かって、私はさらにすうと息を吸い、一気呵成に言いました。

「出すぎた真似をいたしまして本当に申し訳ありませんでした。派遣社員の分際で社員の方に注意するなど、身の程を知れ、まさに◯◯さん(マハラジャ君の名前)のおっしゃる通りです。私たち派遣社員は7人揃って初めて社員さま一人前。次からは気をつけます。本当にごめんなさい」

(こういうときはラップで韻を踏めればなお良い絵ができたのでしょうが、そうそうアドリブでそこまではできるものではありません。次にこんな機会があったら試してみようと思います)

ちなみにこういうときはなにが起こったかを周りにハッキリわかる文言で謝るのがミソです。周りにはもちろん、彼の上司や同僚たちがいます。仕事しながら聞き耳を立て、私たちのやりとりを耳をすまして聞いているのです。
第1ラウンドの攻撃としてはこれで充分、と私はそのまま席に戻って仕事を再開しましたが、心のうちでは腹わたが煮えくり返ってどうしようもありませんでした。

「身の程を知れ」なんて、軽々しく人に言っちゃいけない言葉です。

さあ第2ラウンドどうしてくれようか、と周囲をぐるりと見回したところ、ふと隣の島に顔色の悪い女の子が目に入りました。

マハラジャ君の秘書、派遣社員のサユリちゃんです。

当時、マハラジャ君はその磨き抜かれたパワハラの技で担当秘書を次々と退社に追い込んでいたのですが、サユリちゃんもご多分にもれず、心を病んでこの職場を辞める寸前の状態でした。もはや服を構う気力もないらしく、まだ若いのに毛玉の浮いた海老茶色のセーターなんか着ています。

私はサユリちゃんをお昼に誘い、近くの高級ホテルでちょっとお値段お高めの和定食などをおごりました。
そして、「私なんか人間以下の存在なんです」とすっかりマハラジャ君に洗脳されてしまった様子の彼女に、お昼の時間を有効に使って脱洗脳を試みたのです。

マハラジャ君の攻撃はすでにサユリちゃんの中でも飽和状態になっていたのでしょう、その効果はすぐに出ました。
午後、私たち41階の住人は全員、マハラジャ君とサユリちゃんの大立ち回りを見ることになったのです。

きっとそれまでに人に言えないいろいろなことがあったのでしょう、サユリちゃんは泣きながらデスクのパーテーション越しにマハラジャ君のシャツの襟首をつかみ、フロア中に響く大声で彼の過去の悪行を怒鳴りたてていました。

その日、職場には100人近くの人が働いていましたが、誰ひとり彼女のその剣幕を止めることはできませんでした。きっとうすうすなにが起こっているのか皆さん気づいていたのでしょう。それを、立場の弱い派遣社員をあてがうことで事なきを得ていたのです。

その晩、私たち41階の派遣社員は有志で集まりサユリちゃんを囲んで乾杯しました。
その場にいた派遣社員、数えたら全部で10人いました。まさに市川崑の「黒い10人の女」ならぬ「黒い10人の派遣社員」だね、と言ったけど、全員その映画を観てなかったので誰も笑ってくれませんでした。

サユリちゃんはマハラジャ君を怒鳴りつけたその足で派遣会社にもう辞めますと電話を入れ、事情を知って驚いた会社側からすぐ次の派遣先を見つけてもらったそうです。
あーこれでやっとスッキリしました、と笑う彼女はすっかりもとの健康状態を取り戻しておりました。 午前中とは別人のようなその晴れやかな笑顔を見て、人間の自然治癒力ってすげえなあと私は感心したものです。

そしてマハラジャ君ですが、さすがにこのままここにいさせてはマズイと上司が判断したのか、はたまた本人の希望なのか、彼はそれからまもなく異動となり、41階から姿を消しました。
とはいっても同じビルの中なので大した制裁にはなってないのですが、それからしばらくして風の噂に彼の派遣社員に対するパワハラがなくなったという話を聞きました。

でもたぶん本質は1ミリも変わってないんだろうな。

#コラム #佐伯紅緒 #エッセイ #下町 #帰国子女 #派遣社員

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