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今さら人に聞けやしないクリスマスの過ごし方

年々その始まりは前倒しの傾向にあり、最近はハロウィンの翌日からスタートする感のあるクリスマス。
この時期に特別なことをやらなくなって幾星霜の私でも、さすがに12月23日あたりになると「ムムッ」と心がザワつきます。

なぜなら、この時期は街全体が一種の洗脳装置と化すからです。

まずハロウィンが終わった途端、街のあちこちにクリスマスツリーがドーンと置かれる。その衝撃たるや、さながら100年の泰平の末にある日いきなり壁をこわし現れる超大型巨人のようです。

そこへ杏里やらワム!やらユーミンやらジョンレノンやら山下達郎やらの巨人たちが、シャンシャンシャンシャンと鈴の音をドップラー効果で鳴らしながら襲いかかり、昔のほろ苦い恋愛などを我々に思い出させた挙句、もうカンベンしてくれよとなったところを頭からムシャーと食らいつきます。

かりに、恋愛なんてもうとっくに遠い日の花火だよ、と開き直り、剣と立体機動装置を駆使してこの日と戦う調査兵団のような勇者がいても、それはそれで「いつものように過ごしたくてもどこも混んでて入れず」という兵糧攻めや、「家に帰ってテレビをつけてもクリスマス番組ばかり」という「時計仕掛けのオレンジ」のような拷問が待っています。

まあようするにクリスマスというのは「なにか特別な心持ちで過ごさなければならない」というような同調圧力が働いており、その圧に屈さない限り、いろいろと不都合が生じるのです。

ならば乗ってしまった方が人生楽しいじゃないか、というと意外とそうでもなく、この時期はどこも割高、行きも帰りも電車は激混み、出かけたら出かけたで店のサービスも悪く、右も左もクリスマスをひとりで過ごしたくないニワカカップルだらけという、これがあえて出かけたクリスマスイブのだいたいの記憶です。

ゆえに、この日をなんの痛痒もなく十二分に満喫できる稀有な存在というのは、ズバリ「相思相愛で交際一年以内のカップル」に尽きます。
なぜなら彼らは街をあげて洗脳せずとも既に洗脳状態にあるからで、この状態にある男女は街が混んでいようがメシがまずかろうがすべてはバラ色のメガネのフィルターで解決します。

逆にいうと、それ以外のひとたちというのは「なんとなく、周囲が騒がしいから」このムーブメントに乗っかってるだけのような気がしてならず、でもそれってなんだか思考停止みたいで私は気がすすまないのです。

若い頃は接客業ばかりしていたのでこの日はただ働いていれば良かったのですが、居職になって時間ができた途端、私はこの日の過ごし方がわからなくなりました。
いくら普通に過ごそうとしてもなかなか世間が許してくれません。
どうしたらいいのだろう。
この年までさんざん考えた挙句、私はようやくひとつの結論に至りました。

クリスマスだからといってわざわざ割高のディナーなんか食べたくない、だけど家でジッとしてるのもなんだか負けた気がして(なににだ)イヤだよう、という皆さん。
この儀式を半世紀ちかく通過してきた私からの提言があります。

この日はあえて、赤提灯の焼き鳥屋や屋台のおでん屋さんに行くのです。

どこもすいてるからサービス抜群、しかも都内ならば360度どちらかを見ればイルミネーションも堪能できる。しかもこの日に出かけるということである程度の協調性もアピールできます。

あとね、この日にも浮かれず黙々と働いてるおやじさんやおばさんたちを見ると私、心がいつしかスッキリと洗われる気がするんです。
だよね、これでいいんだよね、これこそが聖夜なんだよねって。
私、何年かこの日は仕事帰りに東京タワーのふもとにあるおでん屋さんに通っていたんですが、時刻になるとパーっと照明がクリスマス仕様になったりしてそれはそれは綺麗でした。

ちなみに今年は風邪をひいたのでこの件に関しては一切悩まなくて良さそうです。

#コラム #佐伯紅緒 #エッセイ #下町 #クリスマス

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