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赤外線の迷宮

昭和40年代生まれのせいか、最近の趣向を凝らしたお店とかのドアの開き方がわからず、そういうものを見るたびに途方にくれることが多くなりました。

まず、あれはデザイン上の理由でしょうか、「押」「引」の表示をつけてくれないところが増えました。だから押し戸なのか引き戸なのかがわからず、迷った末にいちかばちかで押すか引くと大抵の場合は間違っています。あれは絶対マーフィーの法則が作用していると思います。

この間も忘年会で行った居酒屋のトイレの扉が忍者屋敷みたいなつくりで、開きかたがまったくわからず、押しても引いてもダメで涙目になってウンウンとやっていたら、後ろから来た人が黙って横にガラガラと開けてくれたことがありました。

もっと怖いのはオシャレなレストランによくある趣向を凝らしたトイレです。
よく創作和食料理屋なんかでドアを開けると玉砂利が敷いてあり中に花がいけてあって目の前にツクバイがあったりなんかすると、もうそれだけでイヤーな予感がして心臓がバクバクし始めます。
なぜなら、そういうトイレはきまって用を足したあとの流し方とか手洗いの水の出し方がわからないからです。

まず、流すレバーが見当たらず、手洗いの水をひねる蛇口もない。これがデパートのトイレとかなら手を差し入れたらセンサーが反応してジャーと水が出たりするのですが、手を出してもその気配もなく、どこからどうとりつけばいいのかわかりません。

そういうとき、私は自分の偏差値が試されてるようで情けない気持ちになります。そういう、どこかの建築科を出たインテリの方が設計したにちがいない、オシャレにとりすました難解なおトイレ様に出くわすたびに、私は漫画『カイジ』の鉄骨渡りを強要された気分になり、そんな機能性よりアート性を重視した設計者に災いあれと思うのです。

しまいには万策尽きた挙句ロックフラワーみたいにヤケクソになってパンと手を叩いたりするのですが、その瞬間、足元に地雷みたいなボタンがあってそれを踏んだらしくジャーと水が出たりして、そんなときに私を襲う敗北感は筆舌に尽くし難いものがあります。最近の公共機関にはどこにも監視カメラがついているといいますが、虚空に向かって手を叩く私はセコムの人が見たら完全におかしい人です。

なんでこんなことを長々と文をつらねて書いているかというと、先日、そういうオシャレ系和食屋さんのトイレで遭難している人を見かけたからです。
なかなか出てこないので心配になり「どうしましたか?」と声をかけたら、中から消え入りそうな年配の女性の声で「水の流し方がわからないんです...」というのが聞こえました。

私も初めての店だったのでどこにレバーがあるのかわからず、とりあえず旅客機で緊急事態に遭遇し機長にかわり自ら操縦桿を握らねばならなくなった乗客と無線で話す管制塔のように、ドアの中で途方に暮れている彼女に向かって話しかけました。

「どこかに金属製のそれっぽいレバーとかはありませんか?」
「ないです」
「天井からなにがぶら下がっていませんか」
「いいえ」

そんなドア越しのやり取りの末、どうやら原因はセンサーの不調らしいというのがわかり、とにかくめいっぱい踊ってください、と私が自分の経験を踏まえた助言をしたところ、しばらく衣擦れの音が聞こえたあとにめでたくジャーという水音が聞こえ、そのとき私は劇場で「アポロ13」のクライマックスシーンを観た時の気持ちになったのでした。

最近はデザイナーズマンションに住む友人の家に行くのが怖いです。

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