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人はわかりあえないけれども

加計呂麻島に通い始めて16年になる。

もともと猫気質なので、ある場所が気にいるとそればかりになる傾向があるが、中でも加計呂麻島は特別である。

なんにでも相性というものがあるから一般化はできないけれども、私の場合、ここに来るとなにかのwifiが入る。

わけても、ここに来るたびに肌で感じることができるのは、

人は、互いにわかりあうことは決してできないけれど、互いのことを尊敬し、大事にすることならできる、ということなのである。

島に来てぼんやりしていると、そういう考えが自然と頭に浮かんでくる。

そして、それは多分、真理だ。

都会生まれ都会育ちのくせに、都会生活を長く続けていると、だんだん自分がネットにつながらないスマホみたいな状態になってくる。

これはたいそう、つらい。
さながら酸欠の金魚である。

それが島に来て携帯が圏外になり、ネットがつながらなくなった途端、今度は逆に身体のほうがなにかのwifiを受信し、身も心もイキイキし始める。

そして、あ、やっぱり大丈夫だったか私、みたいに思う。

さらに、都会にいるときは自分の欠点にしか思えなかったようなことも、「まあいいんじゃないの、それくらいあっても。浮世の渡世には必要よ」みたいなライトな感覚で受け入れられてくるから不思議だ。

さらにガッツリ見えるのが、自分にとっての優先順位。

後生大事に思えてたものが、「なんであんなのを?」と驚いたり、

逆に、水や空気みたいに感じてたことに対し、「冗談じゃねえ!」とそのありがたみに稲妻のように気づかされたりする。

だけど、では島に移住するか、となると話は別だ。

なぜなら、互いのわかりあえなさを痛感するのが目に見えているからだ。

島の人たちもその辺がようくわかっていて、心ある島の人たちは必ず、生半可な気持ちで移住して来ようとする旅行者を全力で止める。

私も、将来はわからないけれども、今のところそんな気はまったくない。

「1960年代のパリには30歳の少年少女がウロウロしていた」と言ったのは「悲しみよこんにちは」のフランソワーズ・サガンだったが、

平成最後の加計呂麻島には、30歳どころか40歳50歳の少年少女が都会からゾロゾロやってくるのである。

むろん私も、そのひとりだ。

自分が大人になりそこねたことは、別に否定も肯定もしていない。

そうでなければ見えないことがあるし、げんにそれで現在は身をたすけているからだ。

だけど、なんで他の人みたいに、普通にいろいろなものを卒業できなかったのかな、とも思う。

だけど、島はそういう私にも優しい。
こんな私でも、いつも変わらずゆる〜く受け止めてくれる。

だから私は、この先の人生、都会の人から笑われるのは別に構わないんだけども、少なくとも島に恥ずかしいことだけはしたくないと思うのだ。

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