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終電のメリークリスマス

私は昔からクリスマスとか誕生日とかのアニバーサリーには興味のない子供でした。

プレゼントをもらっても、「この子はなにを買ってやっても嬉しそうな顔をしない」と親に嘆かれていましたし、実際、なにをもらっても大してうれしくはありませんでした。

なにしろ生まれて初めて本気で欲しいと思ったのがパイプオルガンです。子供の頃、『さらば宇宙戦艦ヤマト』というアニメで「白色彗星のテーマ」という不穏ながら美しい音楽で聴いたことのない不思議な音色に魅了された私は、すぐ貯金箱を割って最寄りのデパートに走りました。

「すみません、パイプオルガンをください」

すると初老の楽器売り場の店員さんが出てきて私に言いました。

「お嬢ちゃん、お家は広い?」

後年、ミッション系の大学に入り、初めて講堂でパイプオルガンの実物を見た私は腰を抜かしました。まさか高さ10メートルもある楽器だとは思わなかったのです。

その次に欲しいと思ったのがハッブル望遠鏡でした。
あれは私が百貨店に就職した年、NASAがハッブル望遠鏡で撮ったという最新のアンドロメダ星雲の写真をテレビで見た私は、ああこれは授業で使っていた理科便覧で見たのとまったく同じやつじゃないか、これはもうぜひ自分の目で見るしかない、と多少値ははっても構わないからとすぐ望遠鏡売り場へ走りました。

すると今度は同期入社の社員が出てきて、私に無言で雑誌に載ったハッブル望遠鏡の写真を見せてくれました。
それは長さ13メートル重さは11トンほどもあり、レンズの直径は2メートル半、しかもそれはNASAが当時打ち上げたばかりの、地上600メートル上空をグルグルまわっている宇宙望遠鏡でした。

そうでなくても20代のほとんどをデパート、アパレル、料亭と接客業ばかりやっていたので、クリスマスイブの日に恋人とオシャレなレストランでディナーを食べたり高級ホテルにお泊りした記憶がありません。
とくに24日に休みをもらえるのはどの職場も先輩方ときまっており、デパートやアパレルを転々としていた私はクリスマスイブは常に働いていました。
どの職場も繁華街にあったのでそれはもう立派なクリスマスツリーがありましたが、寒い中仕事しながら横目で見るクリスマスツリーは、マッチ売りの少女が窓の外から眺め拝むのとほぼ同義だったのです。

おかげで世間の流行や戦略に踊らされることもなく、クリスマスだからといって割高になった横メシを食わされることもなく、残業の帰りに疲れた目で街の電飾を眺めながら帰る、それが思い出す限り私がいちばんきれいだったときのクリスマスの記憶です。

しかし、ただひとつだけ、「あ、これは聖夜だな」と今でも覚えている出来事があります。

それは私が27歳の時のクリスマスイブの晩のことでした。
当時、私は東京都心にあるアパレルのお店で働いていたのですが、そこは女ばかり15人の職場で、10時出勤23時退社、しかもその間立ちっぱなしという、なかなかハードな環境でした。

その日も私は残業を終え、終電近くの地下鉄日比谷線にひとり乗っていました。24日の晩とあって車内はかなり混んでいて、私は吊革につかまりながら空席ができるのを待っていました。

するとそのうち私の正面に座っていた乗客が立ち上がりました。やれやれ助かった、と座ろうとした途端、誰かにドン、と突き飛ばされました。
一瞬なにが起こったかわからなかったのですが、次の瞬間、目の前の席には私のかわりに知らないおばさんが座っていました。

それは見るからにニッポンのおかあちゃん、といったふてぶてしい感じの女性でした。しかも彼女は私を突き飛ばしたことに対してごめんなさいをいうでもなく、そのまま椅子に身体を沈めるなり目をつぶってしまったのです。

すげえなあ、と称賛の意味でなく感心してしまいました。座りたいからってそこまでやるか。だって私だって一日中働き詰めで疲れ果てているのです。
たちまち負の念が吹き上がり、私は目の前のおばさんをほとんど呪いそうになりました。そして思いました、ああ私はいくつになっても絶対にこのようなおばさんにだけはなるまい、どんなにつらくても音をあげず、「心頭滅却すれば火もまた凉し」と辞世の句を残し団扇を手に焼け死んだ快川和尚のようであろう、と。

しかしその時でした、私はおばさんの両足のあいだに大きな紙袋が置かれているのに気づきました。どこかの食堂の銘が入った紙袋で、中には箸袋に入った割り箸がびっしりと詰まっています。

今でも我ながらものすごい想像力だなと思うんですが、その時私は、ああこの人もどこかのお店で立ち仕事しているんだ、と気づいたんです。そして考えました。私なんだかんだいってまだ27、このおばさんはどうみても60過ぎ。じゃあしょうがねえな、と。

とたんになんとなく気持ちが静まっていくのが自分でもわかりました。年齢体力その他を考慮しても、このひとのほうが私よりずっと休息を必要としている。そのように思えたのです。

私は自然と、おばさんの正面から斜め前に移動していました。突き飛ばされた私が目の前にジッと立っているのもおばさんにとってはしんどかろうし、私のほうもなんとなく気まずい感じがしたからです。おばさんの正面には私の代わりに酔っぱらったサラリーマンの男性が立ちました。

ところがそういうのって口に出さなくてもテレパシーみたいなもので伝わるんでしょうか、やがておばさんは降りる駅が来たらしく、目を開けて立ち上がりました。
しかし次の瞬間、思いがけないことが起こりました。おばさんは立ち上がりざまいきなりヌッと腕を伸ばしたかと思うと、目の前の酔客ではなく、私の腕をつかんで無理やり自分の席に座らせたのです。

私はしばらくなにが起こったかわからないまま呆然としていました。そして電車の窓越しに、電車を降り人ごみに紛れて歩いていくおばさんの後ろ姿を見ていました。
おばさんはたぶん、私の思いにすべて気づいていたのです。私が突き飛ばされたことでおばさんに対してコノヤローと思ったことも、割り箸を見た瞬間に情状酌量したことも。
そしてもうひとつ、窓越しに流れゆく駅名を見たときに、私はおばさんのもうひとつの真実を知りました。

おばさんが降りたのは六本木駅でした。

彼女は帰る途中だったのではなく、これから仕事に行くところだったのです。

今でも私は「聖夜」というとこのときの出来事を思い出します。

#コラム #佐伯紅緒 #エッセイ #下町 #クリスマス

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